最後にありがとうと言えたなら ~亡くなった方が教えてくれたこと~

大切な方とのお別れの仕方をご遺体が教えてくれました

驚かない技術

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お骨って食べれます?
 
納棺士の仕事をしていると時々驚くことがあります。
こんなご遺族の言葉にも、最近ではあまり驚くこともなくなりました。
きっと食べたいぐらい側にいたいんだなって思います。突然身近な人を亡くしたらそんな風に考えてしまうなって。
 
 
納棺士の習得する技術に「驚かない技術」というのがあります。
と、いうのも、仕事をしていると亡くなった方やご遺族、その他の色んな事に驚かされることあるのです。


お布団の上で寝ている故人様。

お顔の上に掛けてある白い布を取ると目をバッチリ開けてこちらを見てる時にビクっと驚く。


一人きりの安置室での着せ替えやお化粧は冷静に考えると少し怖い状況。

着せ替えをしようとお体を横にした時、体の中にあった空気が声帯を動かし亡くなった方が「ごお〜」と声を出した時にわっと驚く。


ご自宅に伺い、玄関先で死因が飛び降り自殺と聞き故人に面会するとつま先と踵が逆向きになっており、おっ!と驚く。
 
こういうことがあるので、納棺士として動じない、驚かない技術が大切になってくるのです。

驚きを隠して、出来るだけ早く自分の中の納棺士スイッチを入れ直す。その技術を手に入れる為には経験を積むしかありません。

初めの頃はよく先輩に「声を出したらだめ!」と注意をされました。

驚く時に出てしまう、わ!とか、あ!とか、お!は、ぐっと飲みこむのです。
 
だってご遺族が傍にいる時、プロの納棺士が故人を見て驚いたら、ご遺族に不安を与えてしまうから。
 
納棺士になって10年以上が経ち、もう、何事にも驚かなく…いや表面には驚いていないように取り繕うのが上手になりました。

 

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先日お伺いしたのは、長くお一人で暮らしいていた80代の男性の故人様のお宅。


私がお伺いすると玄関と縁側で葬儀会社の方とご遺族がスペース作りの真っ最中でした。

色んなものが積まれて、棺を入れるスペースすらありません。

そして故人が寝ている奥の部屋は昼間だというのに真っ暗です。どうやら電気は使用できないようです。
そして追い打ちをかけるように担当者さんから声がかかります。
 
畳が傷んで抜けやすいから気をつけてね。
 
見ると日が入っている部屋の入口の畳が、黒く変色して波をうっています。
 
独居の高齢者が増え、このような自宅で死後の処置をおこなうことも時々あります。そういう時に心が沈むのは汚いからだけでなく、ここで生活をしていたことを想像してしまうからです。昼間でも薄暗い部屋の中でどんな事を考えて何を見てご飯を食べて、寝ていたのかなと想像がどんどん膨らんでいきます。

 
さあ、最後は綺麗に送ってあげようと納棺士スイッチを入れて靴下にカバーを付けて上がります。
 
まずは、手を合わせお顔の上の白布をとります。せめて安らかな顔でありますように、心の中ではドラムロールが流れています。

ドゥルルルル…バン!
暗い中でも痩せてはいるものの、目をつぶり、こちらを見てはいません。口をお閉じして、髭を剃ればもっと穏やかになるはず!
 
じゃあ、ドライアイスを外そうかと布団に手をかけた時、薄手のグローブ手袋をした私の手何かが触れました。目をこらして正体を探すと、大きなムカデが私の膝に登っている。
 
ギヤーーーーーーーー!
 

飲み込めない程驚いた時、人は声が出てしまうものです。普段出した事のないような声が口から飛び出しました。

 

驚かない振りなんか出来ませんでした。
 
この後
ご遺族の方や葬儀社の方も慌てて、こちらに走ってきてくれました。
 
ミシミシ、と土足でご遺族の男性が部屋に来たかと思うと、2歩目ぐらいで畳が抜けて片足の足首までが畳に埋もれ、わー!と転倒。


なんだか、自分の悲鳴も霞む程のドタバタです。
 
このブログを書き始めて、仲のいいご住職に、あのブログに出てくる遺族の話は泣かせようと、半分くらいは作ってる話でしょと、会う度に言われます。

納棺式というお別れの場では、ドラマとか映画のような光景だなと思ってしまうようなシーンがたくさんあります。

私の話はほぼ、実際に経験したり聞いたりした本当にあった話です。性別や年齢地域などは変えてますが、、、実話です。


今回は感動とはちょっと違いますが、ドリフ(若い人は知らないか)のコントのような、ドタバタ納棺式。

住職のニヤけた顔がチラつきました。
 

結局、暗い部屋ではムカデがどこに行ったか見つからず、自分の中の納棺士スイッチをずっと探しながらビクビクと納棺式を終えました。

 

とにかく、納棺士にとって驚かない技術は大切ですが、それには限度があるという話。
 

会いたい幽霊

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 心霊ブームとピンクレディ
私が小学校低学年の頃、心霊ブームで心霊写真とか、怪奇現象が、よくテレビで取り上げられていました。

ちょうど学校から帰る時間、テレビをつけるとやっていた心霊写真の特集が私は怖くて仕方がなかったんです。確か、3時のあなた?っていうワイドショーだったかなぁ。


うちは両親が共働きだったので私が学校から帰っても一人か、4歳違いの妹がいるだけです。心細い時間帯にその番組を偶然見てしまった日は、怖くて怖くて。
当時の私は怖い気持ちを振り払う為、大好きだったピンクレディーの曲を全力振り付きで踊るという対処法をあみ出しました。
 
まさかそんな、幽霊が死ぬほど怖かった私が、納棺士になって死んだ方のお化粧をしているのですから不思議なものです。
 
 
もし幽霊が、亡くなって会えなくなった「誰か」だとしたら、私は子供のころのような怖さを体験することは、もうないと思います。 
 
そんな風に思うきっかけは、父の死でした。


 父の死
父が癌になり、余命が半年と聞いた時、そんなはずはないと信じなかった私は、離れた父のお見舞いになかなか行けずにいました。
 
宣告通り父は半年後亡くなりましたが、その時のことを今でも覚えています。
もう、起きているのか、寝ているのかわからない様な、どこも見ていない父の横顔。母と私と妹も父の体に触れてはいるものの、話仕掛けることなくただ下を向いていました。父の体に付けた計器の定期的な音だけが、病室に響いていました。白いベッドに寝ている父はもう、私がいくら触れても何の反応がありません。
何となく、もう父はこの痛みのある体からは抜け出ているような気がしました。 

 

父が静かに旅だってから葬儀が終わるまでの、記憶は曖昧です。
 
しかし、葬儀が終わってまた実家から離れる生活が始まると、不思議なことに前よりも父を近く感じることがあります。
 
小さな頃、髪を洗った後、よくタオルで父が髪を乾かしてくれました。タオルで髪をくしゃくしゃと拭いてもらうと気持ちがよくて、とても安心した気持ちになるのです。

髪の毛を洗い自分で髪をタオルでくしゃくしゃと乾かしていると、不意に父が目の前に立っているような気持になり涙が出そうになることがあります。
大切な人を失った心の状態が見せる錯覚かもしれませんが、それは怖いものではなく、自分の心がふと立ち止まるような、心の休まる瞬間でした。父が私の前に現れたら、何を話そう。

 


夜寝むる前、暗闇で幽霊に怯えていた小さな頃の私は、もういなくなりました。


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3.11以降
3.11は私の地元、宮城県にも大きな爪痕を残しました。宮城県石巻の海は主人と、子供が小さなころ毎週のように遊びに行った場所です。
主人がウィンドサーフィンをしていたので仲間もたくさんいました。変わり過ぎたあの場所へ行くことはもう、ないような気がします。


友達も亡くなりました。当時は亡くなった方が多すぎて安否確認もままなりませんでした。
 
 
同じ会社で働いていた彼女とは同じ年でした。結婚し、子供が生まれたのも同じ年で、仕事を辞め、私が主人の転勤で地元を離れた後も、年に一度の年賀状での近況報告が、恒例のやり取りでした。
そして震災から2年後、彼女が震災で亡くなったことを年賀状で知りました。
娘さんを保育園に迎えに行った帰り道、彼女は車で津波にのみこまれたそうです。


あれから何年分もの彼女への近況報告がたまりました。彼女の死を2年も知らなかったことも謝りたい。 

亡くなった人が行く世界があるとするなら、向こうの世界で娘さんと二人で過ごす彼女にも会って話したいことがたくさんあります。
 

納棺式で大切な方を失ったご遺族は、私と同じように、夢や幽霊としてでもいいから会いたい、会いに来てほしいと話します。
中には、亡くなった人が幽霊のような姿で会いに来てくれたと嬉しそうに話すこともあります。そんな時、他のご遺族が「私も会いたいなあ」と羨ましがります。怖がる人は1人もいません。
 
わたしは、亡くなった人が行く世界を信じているわけではないけれど、残された人にとってそれは生きるための理由になると感じることがあります。


日本最後の物語「古事記」には黄泉の国の話しが書かれており、亡くなった奥さんのイザナミイザナギが探しにいくという神話があります。
もしかすると、昔から語り継がれている幽霊たちは身近な人や自分の死を受け入れるために必要だったな想像の産物なのかもしれません。

そして、たくさんの人が、幽霊をみている。これは間違いなく事実だと思うのです。
 
 
そして私自身も、
納棺士という、職業のせいか、はたまた歳をとったせいなのか、会いたい幽霊が増えていっていることに間違いはないのです。

亡くなった人に呼ばれる話

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時々

あー、私今日この故人に呼ばれたなって思うことがあります。
 
例えば、千葉県の納棺式のお手伝いに行った時、そこに来ていた親戚の1人の方に
「以前、私の母の納棺式をやっていただいたの覚えていますか?」と聞かれたことがありました。私と同じぐらい、40代後半のその女性は不思議そうに
「でも、うちは埼玉県なので違う人かしら?」と話かけてこられました。
 
埼玉と千葉。まさかと思うと思いますが、これがあり得る話なんです。
千葉も埼玉県も東京都内も茨城県もあちこちに出没するので、お会いした可能性はあるのです。


ただ、正直覚えてない。
 
私は曖昧に微笑んで頭の中はフル回転で思い出そうとしています。
 
年間400人から500人ぐらいの方のお別れのお手伝いをしているので、ずっと覚えている方は、そうそういません。
 
なんとなく、あ、この人忘れたなと思ったのか、この女性は続けて
貴方の名前○○さんですよねと、ネームプレートに書かれた名字だけでなく下の名前まで知っていたのです。
 
あれ?もしかしたら、、、。
思い出しました。私と同姓同名の故人のことを!(正確には漢字がちょっと違うのですが…)
 
当時、同姓同名の故人に会うことなんて、はじめてだったので「呼ばれた」なと思いました。
あら、同じ苗字!と声をかけていただいたので、黙っていられず、実は名前も一緒なんですとバラしてしまいました。

納棺式では、名前が同じ人ということもあったのか、いつもより、早く打ち解けた雰囲気の中、いろんな思い出話をお聞きすることができました。

ご家族の方は口を揃えて、70歳の私と同姓同名の故人をいつもタバコをふかして、赤い口紅をつけているようなかっこいい方でした、と話されています。

つい、自分まで誇らしく思ってしまいます。

 

癌で痩せていらっしゃいましたが、最後に赤い口紅を塗ると家族から、この顔だよね!と声が上がりほっとしたことを思い出しました。
 
後日、こんな離れた場所でまた偶然会うのも、ご縁の深い方なんだと不思議に感じました。
 
あの時、納棺式でみんなで笑って話せた時間がよかったから、この時間を勧めたのよ。
 
わ〜そんなこと言ってくれたら、もう2度と忘れません!って握手したいぐらい嬉しくなっちゃいます。
 
こういう嬉しいお呼ばれは、大抵仕事で悩んでいたり、失敗をして、もう、私はこの仕事続けない方がいいのかも…なんて考えていたりする時なんです。
その度に、また頑張ろう!やっぱりこの仕事最高!と思う。
 
都合のいい話だけど、勝手な思い込みかもしれないけど、亡くなった方がまだ頑張れって言ってくれてるみたいだって感じてしまうのです。
 
他の納棺士も偶然行ったご遺族が自分の知り合いだった。という話や3年毎、同じ家でおじいちゃん、おばあちゃん、お父さんの納棺式をお手伝いした納棺士もいました。
 
出身地が同じだったり、家族構成年齢が近く気持ちが自然に寄り添ってしまうご遺族に会う時、私は故人に呼ばれたような気がして仕方が無いのです。そしてこの現象は納棺士あるあるだと確信しております。
 
 

死のリセット

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もう、何度も使われ倒したセオリーかも知れませんが、ゲームに慣れ親しんできた子供達が、死んだ人をリセットできる感覚をもっているっていうんですよね。
 
ある本に、小学生の10%が人は死んでも生き返ると思っている。と書いてあっても、特に驚くべきことではなくなりました。
 
確かに今のゲームって凄くリアルなんですよ。
マリオ時代のチャッラタ チャラララン〜っていう漫画のキャラクターのような主人公の死とは明かに違う。
戦争ゲームなんか、どっちが敵か味方か、何の為に戦っているのかわからないままリアルな人をリアルな銃で撃ちまくっている。
 
死に対して何の情報がないまま、ゲームだけが死を感じる事の出来るツールだとしたら、偏った感覚の子供達がいてもしょうがないのかなって感じます。 
 
そして、死を理解していない事が命に対しての軽視と結びつけられイジメ問題や虐待などの引き金になると言われる事もしばしばあります。それもたくさん絡み合った要因の一つなのかもしれません。
 
死をリセット出来るという、感覚の人が増えているという事実は日常の生活では感じませんが、生き方をリセットする人は増えてきたなぁと感じることはよくあります。
 
我が家の息子達や、新卒の新入社員をみていると、人との関わり方がとてもドライです。
先生、先輩、同僚、友達、親友は代えのきく1つのカテゴリーに過ぎないように感じます。
縁とか、恩とかそういう目に見えない絆は生まれそうにありません。
 
だから自分が苦労して、その関係を続けていく意味がないのです。
もし上手くいかなくても、リセットして、違う仲間とやり直せばいいのです。
 
これって怖いですよね。
 
今私は人の死を身近に感じる納棺士という仕事をしています。
 
納棺式というお別れの時間は、自分ではない大切な人を思って、その人の為に行う儀式です。
そして縁や恩を感じその儀式に人が集まる。
 
これから、リセットし続けてきた人が亡くなる時代が来た時、送る側の人達がどんな風に「死」を捉えていくのでしょう。
 
私はこの簡単にリセットしてしまう感覚を持っている子供がいることを、決してゲームのせいだけではないと感じます。
死という知識を持たない人達がゲームでしか死を学べない。そんな状況が歪んだ死の知識を産んでいるのかもしれません。
 
私自身納棺士になるまでは死についての知識はテレビの事件や事故のニュースからしか感じることができませんでした。もちろん若い頃は銃や武器で敵を倒すゲームを時間を惜しんでやったこともあります。
 

人の命について伝えることも教えたいと思うことも、ありませんでした。


納棺士になり死から沢山のことを教えてもらうようになりました。命や生き方について伝えたいことがたくさんあります。


どんな人にも最後に必ず訪れる死という事実は周りの人達に沢山のことを教えてくれます。
 
死んだ人をリセットできる感覚をもっている子供に必要なのは死を考える機会なのかもしれません。
 
 

納棺士の求人情報はどこに?

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私が納棺士と知ると、周りから色んな質問を受けることがあります。
普段から非日常に暮らす納棺士は、未知の職業なのかもしれません。かく言う私も、納棺士は亡くなった方をお化粧する仕事?ぐらいのイメージでした。
 
 
よく聞かれること①
どうやったら納棺士になれるか?
 
 
納棺士は特に資格があるわけではありません。
「私は納棺士です」と言えば明日からでも納棺士になれます。
 
だから、技術や知識を学び経験を積んだ納棺士もいれば、ご遺体にメイクするだけの納棺士もいます。ピンからキリまでいろいろなのです。
 
だから本当は頼む人(遺族)が選べるといいなあと思います。
葬儀会社にお葬儀を頼むと、その葬儀会社の納棺士または、提携をしている納棺会社の納棺士が来るのですが、葬儀会社が何を基準に納棺士(納棺会社)を選んでいるかはわかりません。
 
安さなのか、技術なのか、その納棺士の会社の特色なのかは葬儀会社の考え方です。
 
話は脱線しましたが、納棺士になるには、ハローワークや求人サイトで納棺や湯灌というキーワードで検索すると求人情報が出てきます。
 
ちなみにホームページを作っている会社なら、そこに求人情報をのせている会社も多いです。
 
男性でも女性でも、学歴も全く関係ありません。
年齢については覚えることが多く、体力も必要とするので制限があることが多いと思います。
 
ちなみに私が所属している会社では35歳以下の募集となっていますが、会社によってまちまちで、特に年齢制限のない会社もあるようです。
 
よく聞かれること②
納棺士は
どんな人が向いている?

 
私は今の会社で、教育や採用に携わっていて、時々こんな質問を受けます。
これは、難しい問いです。
納棺士にも個性があり、コミュニケーションに長けている人も有れば、厳粛な雰囲気を作るのが上手な納棺士や、ひたすら技術を突き詰めてご遺族に一番いいお顔でお別れしてもらいたいという納棺士もいます。
どの納棺士も自分らしくご遺族と故人へ寄り添います。
 
私の個人的な意見としては、納棺士に向かない人はいないと思っています。
 
ただ、この仕事はお給料を稼ぐだけの仕事として働いている人は少ないと思います。
何故か?それは、もっと楽にお給料をもらえる仕事はたくさんあるからです。
多分、納棺士をしている人達は納棺士というやりがい仕事がしたいと思っているのです。
 
新卒採用をしていると時々、身近な人との死別体験をしてこの仕事をしたいと決心したということを時々聞きます。
 
この仕事で得られるお給料以外の「何か」がこの仕事を続けている理由で、個々それぞれの何かがあるような気がします。


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よく聞かれること③
この仕事をしていて
一番よかったと思うことは?

 
死別という大きな悲しみの中、ご遺族からいただくお礼の言葉はもちろんですが、何か一つでも葬儀担当者やご遺族の要望に叶えることができた時はホッとします。
そして、こんな風に生きたいなぁとか、こんな風に送って欲しいと思えるようなお別れの場に立ち会えることも納棺士の特権かなぁと感じます。
 
昔から立証したいと思う事があります。
「納棺士にB型やAB型が多い説」
 
とはいえ、B型やAB型が向いてます!というのは些か、乱暴すぎるかも知れません。
 
日本人の血液型を大まかに分けると
A型 40%
O型 30%
B型 20%
AB型 10%
となるそうです。
そうなると、納棺士の血液型の割合もA型、O型がおおくなるはずですが、何故か私の周りはB型、AB型が圧倒的に多い。
 
好奇心旺盛なB型とちょっと変わりもののAB型が多いのは偶然ではないような気がします。
 
よく聞かれること④
この仕事をしていて大変なことは?

 
体力的な大変さもありますが、ゴールがないこと答えがないこと。
 
まず技術面でいうと、自分でこれでよし!と思えばゴールですが、これが出来ないのです。
最近ご遺族に喜んでもらってる!私の技術もいいところまできてるのでは??と奢っている納棺士を神様はよおく、見ている。
そんな時にはハードな現場に呼ばれてあー、もっと腕があれば…もっと何かできたのでは…。と打ちのめされるのです。
 
答えがないことも同じ。
自分ではベストを尽くしたつもりでもご遺族には納得いただけなかった。
あるご遺族には喜んで頂いた言葉が今回のご遺族には傷つけることになったりして、どの遺族や故人にも通用する正解や答えはないのです。
 
逆を言えば、
終わりがないと言うことが、この仕事の魅力でもあり、一生の理想を追い求める仕事となるのかも知れないですね。
 
さて、いかがですか?
納棺士という職業、ご理解頂けたでしょうか。
 
 
 

年末年始の納棺式

【火葬場もお正月はお休み】

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12月30日からお正月月三が日までは、殆どの火葬場が休館日になります。

 

通常、納棺式を行うタイミングで1番多いのは通夜の前です。

 

長く火葬場がお休みになるということは、亡くなった人が火葬されずどんどん貯まっていくわけです。

 

年末亡くなった方はなるべく火葬場の休館日前に火葬したいし、お休み中に亡くなった方もなるべく早く火葬したい、、、。

 

という訳で年末年始は火葬場がとても混雑し、火葬できず日延する方も多くなってきます。

 

日延することが多い年末年始はご遺体の保管の仕方に大変気を使います。

 

ご遺体の腐敗が進み、ご遺族が辛い思いをすることは葬儀担当者や納棺士がもっとも避けたいことです。

 

その為に長期安置する際には以下のような方法がとられます。

 

【安置方法】

①ご遺体の安置施設の冷蔵庫にご安置する

ドライアイスを毎日あてて安置する

エンバーミングを行い安置する

 

安置施設での冷蔵庫での安置はご遺族の心理的負担は少なくてすむかもしれませんが、一日10,000円ほどの安置料がかかることが多いです。

 

自宅や式場でドライアイスを故人にあて安置する際も同様で、一回5,000〜10,000円の費用がかかります。

 

エンバーミングはもっとも衛生的にご安置が、できますが、費用がかかります。相場は150,000〜250,000円です。

ドライアイスや安置施設は毎日料金がかかりますので、日延の日にちが長い場合は、上記の保存方法より金額や衛生面で一番安心できる選択となります。

 

安置方法は様々ですが、もしドライアイスでご遺体を冷やして先の火葬日まで過ごすなら、棺の中の方が、保冷効果が上がります。

 

ですので、なるべく早い時点で納棺することをお勧めします。

 

棺にご移動すると触れることができなくなるのでは?と考えるかたもいらっしゃいますが、今は棺の蓋に釘打ちなどはせず、いつでも棺の蓋を開けることができます。

 

大切な方とのお別れは、日にちを選べるものではありません。年末年始のご安置には不安になる遺族も多いです。

 

その為、火葬場と違い、葬儀会社、納棺会社は365日お休みはありません。

 

お別れまでのをより安心して過ごしていただけるように、相談できる葬儀会社と少しの知識がとても大切なのです。

年の瀬も納棺士に休みなし

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ブログをはじめて、3カ月。

葬儀業界、年末年始も仕事があれば休み無し。

 

それでも今年はありがたいことに、31日〜2日までお休みをいただきました。

しかし、弊社に在籍の45名の納棺士のうち、3/2の納棺士が年末の今日も走っています。

 

そんな中、今年始めたブログについて振り返ってみると、、、。

 

何度も言い訳してますが、

元々文章を書くのが苦手な私はテーマを決めることも、スピードも、書く技術もないのでサラサラと日常を描くなんてことは出来ないのです。

 

2、3行で全く書けなくなったり、書いたり消したりを繰り返し、悩み、、、と時間がかかるのです。

 

ところが、神様からのプレゼント。

三回目の投稿でびっくりする程の反響を頂きました。

https://aki0602.hatenablog.com/entry/2019/10/12/140202

facebookで沢山の人にシェアしていただき

20000pvを達成しました。

元々、沢山の人に納棺式って時間があることを知って欲しいという思いでブログを始めました。

まだお会いしたことがない方からもコメントをいただき感動、驚きの出来事でした。

 

 

よく私は思うのですがー、

納棺士の仕事は、亡くなった方の人生っていう舞台のラストシーン、一番感動できるシーンに脇役で出してもらってるようです。

 

ピンライトはいつも亡くなった故人とその人生に深く関わった遺族に当たっています。

納棺士はピンライトから外れた主役の影で、同じ舞台を作り上げます。

ライトは当たらないけど、沢山の方の「人生」という名前の舞台の一員として、一緒にラストシーンを作れることが、すごく嬉しくて感動しちゃうのです。

 

殆どの遺族は、台本も筋書きもない舞台に、突然上げられ何をしていいかわからず、困っています。

 

お葬儀会社や納棺士から渡された台本にホッとして渡された台本を読むだけで終わってしまう遺族もいます。

 

だけど、

一生に一度の舞台。

その人にしかないラストシーンになるようにお手伝いできればと思います。

そしてその時間が、笑っても、泣いてもご遺族や故人にとってお金では買えない時間になるといいなぁと感じます。

 

私1人ができることは小さなことだけど、伝え続けることが私に出来る唯一のことなのかなと思います。

一週間に一度は更新したい。

今月はたった2回の更新でした。トホホ、、

 

もうすぐ、2019年が終わり、2020年が始まります。こうしてる間にも亡くなる人がいて、私達は生かされています。

 

来年も納棺士として亡くなった方が教えくれることをブログで綴っていきたいと思います。

 

まもなく迎える2020年が、皆さんにとって素敵な一年になりますことをお祈りしてます。