心は当たり前に反応する
ごく親しい人だけで行う納棺式。
時には遺族同士で、もめることもあります。 小学校高学年の息子さんが交通事故で亡くなった時、お母さんは納棺式の間ずっとベッドの上の息子さんに覆いかぶさり泣いていました。
そのお母さんのお母さん、つまり息子さんにとってはおばあちゃんにあたる方はずっと娘さんを攻撃していました。
お前がちゃんと見てないから、こんなことになるんだ!なんで一人であんな時間に外に行かせたのか!とずっと責めています。
私も息子がいるので耳を塞ぎたくなるような、悲しい納棺式でした。
なるべくおばあちゃんを息子さんの身支度に集中してもらい、お母さんに向いてる攻撃を晒してあげることしかできませんでした。
息子さん、お孫さんという大切な存在を突然失ったお二人。起こった出来事は同じですが、出来事に対してのお2人の反応は全くちがいます。
私は普段から、自分の周りで起こる出来事に対して敏感です。もう嫌になるくらいに、すぐ反応してしまいます。
例えば、怒ってる人のそばにいると心がザワザワします。子供が朝探し物していると自分もイライラしたり。部屋が汚いと考え事がまとまらなくてモヤモヤしたり‥‥。
このザワザワ、イライラ、モヤモヤという心が反応している時は心がおちつきません。
納棺式でご遺族を見ていると、この反応している心を、ちゃんと「見る」作業ってとても大事だなって思います。
お孫さんを亡くして、母親である自分の娘を責め立てたおばあさんは、最後にお孫さんの靴下を履かせる際に足を何度も何度も摩ってました。
その仕草を見ていると、ずっと息子さんから離れられないお母さんも含め、お2人ともほんとに大切に思ってたんだと伝わります。言葉を選びながら、その事を伝えると、おばあさんは可愛いかった小さな頃の話や最近は生意気になことを言うようにと話をはじめました。
その後、要約落ち着いたおばあさんは母親に声を荒げることはなくなりました。
本当のところはおばあさん本人しかわからないのですが‥‥。
もしかしたら、自分が怒りという反応をした理由が愛情からだと知ったのかもしれません。
80代の母親の納棺式で、60代の息子さんが母に
優しい言葉をかけてあげれなかったと話していたいました。
しかし、その方は在宅で看取りをされ、お母さんの面倒を見てたんだというのは、お部屋をみればわかります。部屋は綺麗に掃除が行き届き、お母さんに着せたい洋服も何着か用意をされてました。
息子さんお一人の納棺式。会話をしてるとお母さんへの愛情が伝わってきます。
優しい言葉をかけてあげれなかったという後悔も心の反応です。
会話の中で息子さんは、後悔はずっと側にいるから出てくる愛情と同じ大きさの感情なのかもしれないと少し笑って話していらっしゃいました。
悲しい出来事に人は様々な反応します。
その反応を確かめて正体を知ると、ご遺族はその反応に振り回されることなく自分や大切な方とのお別れに向き合います。
そこで、最近私が編み出した技があります。
イライラ、モヤモヤ、ザワザワが起こった時、何に反応しているのかをちょっと考えるようになりました。
旦那がイライラしている。
わたしもイライラして言葉がきつくなる。
ちょっと待て、わたし。
私は旦那の態度にイライラしてる、休みは心穏やかに過ごしたい。でもこのイライラは私のイライラじゃないし、旦那とも仲良くしたいと思ってるんだ。
よし、私の心の反応に対して理解したぞ。
旦那に、お茶でも出してあげよう。
はい、旦那。少しお茶でものんだら。
いらん(💢)
はー!?何?その態度💢💢
ダメだ。起こった出来事と自分の心に向き合うのは難しい。
こんな時は、私の心に寄り添ってくれる納棺式での納棺士さんのような人が必要です。
心は勝手に当たり前に反応するものなのです。
どんな顔で逝きますか?
亡くなった時、棺の窓から見える顔は穏やかでありたい。
もう、自分は亡くなってしまっているから、どうでもいいと思う人もいるかもしれません。
だけど残された人にとっては、身近な方の死顔は穏やかであってほしいと願うものです。
ご遺族と話をしていると、以前見送った方の死顔を後悔している人は案外多いのです。
別人のように痩せてしまった。
口が開いていて苦しそうに見えた。
お化粧した顔が別人のようだった。
それはその後の人生を変えるような出来事になることさえあります。
最近は少なくなってきましたが、以前は鼻や口から綿が出ていて口元も大きく開いている人も沢山いました。おじいちゃんでも、おばあちゃんでもピンク色の頬紅、口紅が塗られていることも。
高齢で亡くなった方のほとんどは口が開いた状態です。納棺士としてご遺族のもとに伺うと、一番多い要望が「口を閉じてほしい」という要望です。
口元の印象は人の感情を表現するところだなと感じることがあります。しかし、口元を整える技術の難しさを感じることもあります。
人は亡くなると筋肉が硬く硬直してきます。
しかし、時間の経過とともに硬直が解けてきます。また、高齢の方は元々の筋肉量も少なくなり硬直が感じられないこともあります。
顔も表情筋などの筋肉でできている為、硬直が解けると口が開き、重力に従って平面化していくのです。
亡くなったかたは上向にお布団で寝てますので、お顔のシワが無くなった様に見えるという嬉しい作用もあります。しかし、その反面表情が変わった様に見える問題もあります。
表情がどう変わって見えることがあるのか?
一例を挙げると、口元が閉じている状態である場合、重力によって口角が引っ張られたように大きく見えることがあります。
死化粧では口元が広がって見えないように、口角ギリギリまで口紅を描かかず少し内側にラインを取ります。
そしてこの口角も、上がれば微笑んでいるように見えますし、下がってしまえば、悲しげに見えたり怒っているように見えてしまうのです。
それほど、繊細な亡くなった方のお顔。
そのお顔が穏やかだとご遺族は、故人に近づきお別れの時間を安心して過ごしています。
処置やお化粧前は、言葉少ないご遺族が穏やかなお顔に対面すると、いろんな思い出話を始めたり、要望が次々に出てくることはよくあります。
だからこそ、なんとかご遺族の頭の中にある故人に近づいけたい。
しかし、時には納棺式を終えて、がっかり肩を落として帰る時もあります。
もっと何かできたのでは…。自分自身が納得出来ないこともあります。これは、経験年数に関わらず、どの納棺師も経験していることです。
だからこそ学ぶ事がなくならない、大変で、最高の仕事なんだと思うのです。
棺からのぞくその顔がどんな顔でありたいか。
それは、送る遺族と納棺師次第なのかも知れません。
ヒポクラテスの誓い
私が外部講師として携わったている納棺師の学校「おくりびとアカデミー 」の卒業試験が近づいてきました。
今回はコロナ禍の影響で1ヶ月遅れてのスタートになりましたが、その分、努力し学んだ生徒達が、いよいよ卒業です。
毎年のことなのに、今年もまた、生徒達の成長に感動し、巣立っていく寂しさも感じています。これって馴れないものなのかなぁ。
授業では、様々な先生から納棺師として必要な着せ替えや死化粧の知識。葬儀知識や亡くなった方の体の変化や、感染症対策。ご遺族に寄り添うためのグリーフサポートなど、たくさんのことを学びます。
卒業後は納棺師になる人もいれば、葬儀会社や自分のいた職場で学んだことを生かす人もいます。自分の身近な方が亡くなった時の為に勉強する方もいます。みんなが誰かの「おくりびと」になるため必死です。
しかし、学校でどんなに学んでも、その道のプロフェッショナルになるのは、実はまだまだずーっと先で、実際に経験を積んでかなくてはならないのです。
では、おくりびとアカデミーで学んだ生徒は何を得ることができたのでしょうか。
欧米では医師を目指す学生は「ヒポクラテスの誓い」を暗記するそうです。
ヒポクラテスは古代ギリシャの「医の倫理」の礎を築いた偉人です。
この宣言の内容は、自分に医学の知識を与えた人への感謝を忘れてはいけないことや、弟子が出来た時に自分の知識を惜しまなく伝えることが書かれた「師弟の誓い」やプライバシー保護や患者第一などの現在の医学倫理の根本となることが書かれています。
看護師さん達が戴帽式の時にろうそくの光に包まれながら、ナイチンゲール誓詞により誓いをたてる姿は本当に尊い姿ですが、この誓いもヒポクラテスの誓いをベースにしています。
元々professional(プロフェショナル)とは宗教に入る際の誓いを指すprofessからきているそうです。
聖職者や医師や法律家など、古代ギリシアにもいたであろうプロフェッショナルと呼ばれる人達。
誓いをたてることで、自分の仕事の存在する意味を理解し、規律を守りながら仕事にあたっていたのでしょう。
おくりびとアカデミーで学んできた生徒達も、きっとそうであると私は感じます。
誰かのお別れのために、学校に入りたくさんの知識や、正しい倫理感を学んでいく中で、生徒達は何度も心の中で宣言をしてきました。
「ご遺族が安心してお別れの時間を過ごして貰うために、頑張って覚えよう!」
「ご遺族のもつ正解に近づける為に、もっといいやり方があるかもしれない!」
そして自分の中に理想のおくりびとを描き目指してきました。
自分の仕事の意味を考えることもせずに、自称プロフェッショナルを掲げているひとはたくさんいます。
全ての仕事が、誰かの為の仕事です。
例えば飲食店の接客の仕事は、食べに来てくれるお客さんが、気持ちよく過ごしてしてもらう為に必要なお仕事です。私がお世話になっているAmazonの配達員さんは欲しいと思った商品を自宅まで丁寧迅速に届けてくれる為に働いてます。
町工場で作られている小さなネジの1つだって作ってくれる人がいるから、多くの人の生活を支える1部として世の中に出でいくのです。みんなが誰かの為に働いているのです。
そして年数を重ねて行くと誰でも、その道の専門家になることができます。
しかし、自分が誰かの為に働いていることを理解し正しい知識を学び、技術を磨き続けることを誓ったプロフェッショナルはどのくらいいるのでしょうか?
おくりびとアカデミーの卒業した生徒は
これからも、誰かの為に、おくりびとの精神と技術を磨き続けることができるプロフェッショナルの卵達です。
この半年間に学び感じたことずっと忘れないで欲しい。
そして、私自身そんな生徒達に携われたことを心から感謝しています。
生前葬のススメ
久しぶりの投稿です
https://www.twellv.co.jp/program/variety/seizensou/
先日朝のニュースで『生前葬TV-又吉直樹の生前葬のすゝめ』(BS12)が、第10回衛星放送協会オリジナル番組アワードの番組部門<バラエティ>において最優秀賞を受賞したと伝えていました。
今年の3月に放送された番組で、今後再放送等あるかは分かりませんが、又吉さんが間寛平さんの生前葬をプロデュースしていく番組だったようです(見てないので詳しくは分からず)
自分の葬儀について
私がもし死んだら、葬儀はたくさんの人を呼んで、「皆さんのおかげで楽しい人生になりました!ありがとう!」と伝えたいと思っています。
家族にもそんな話を、笑いながらするのですが、息子や旦那はちゃんと私の夢を叶えてくれるのかなと時々考えます。
私の好きな服とか、化粧は「どこ」と「どこ」のシミを隠して欲しいとか分かってるかなぁ、、、多分絶対分かってないなぁ。
髪をかなり短く切っても、内緒で買った服を着ていても全く気づかない人達。今は気楽でよくても、私が死んでしまったら自分の思うように出来ないなんてちょっと嫌。
葬儀の意味
普段から納棺式でご遺族に接していると、娘さんからお母さんがどんなお化粧していて、どんな服をよく着ていたかの的確な指示を貰うことがよくあります。さすが、女の子はよく見ています。
こういうご遺族がいると、納棺師にとっては大変助かります。
息子さんや旦那さんが、本当に細かく指示してくれることもありますが、多くの方はどんなお化粧だったか思い出せず「お任せします」となります。
うちも家族は男性ばかり。すごく理解出来るし、決して悪い訳ではありません。しかし、ご遺族の中にいる亡くなった方の姿が、納棺師にはなかなか見えなくて、苦労することもあります。
私はどんな風に亡くなるのか?
人は生き方は選べるけど死に方は選べません。
つまりどんな顔で亡くなるかは神様任せ。
死んでるんだから、そんなことどうでもいいと思うかもしれませんが、何人もの死顔を見てきた私は、自分の思うような死顔で旅立ちたいと願ってしまう。
結局、葬儀をあげるって亡くなった方がどう生きてきたかを振り返って、葬儀に来てくれる方と、亡くなった方とのご縁を結びかえる儀式なんだと思います。
その為にも、私を思い出して貰えるようなお顔で、別れしたいなぁと思うのです。
我が家の家族も、私の外見にはあまり興味がないようですが、もちろん私を大切にして思ってくれています。.
もし、生きてるうちに自分の思うような葬儀が出来たら、今よりもっとお互いの存在の大切さにちゃんと気づけるし、残りの人生で何をするのかが、はっきり見えてくるような気がします。
あー、ド派手な生前葬あげたい。
梅雨のお別れ
今年は雨が少ないなぁと思ってましたがここ2、3日は梅雨らしい空模様が続いています。
休みの日の雨は、家の中で過ごすにはなんの問題もなく、シトシト降る雨を眺めて
「こんな日に働いている人がいるんだよね」と小さな罪悪感と優越感に浸り休みを満喫しています。
仕事でご遺族のもとに伺うときは、もちろん雨は大敵です。
なぜなら、納棺士は荷物が多い。
まず、メイクバッグ。
この中には沢山の化粧品や筆、ピンセットなどの処置道具、ドライヤーやブラシ、くし、スプレーなどの整髪道具、お顔剃り用のシェイビングクリームや剃刀など、これがないと仕事ができない!と言ってもいいほど大切な仕事道具が詰まってます。
サブバックには様々なる用途がある綿花(脱脂綿)が入っており、お顔周りを飾ったり、処置をしたり、お顔や体を拭くときに使ったりします。この綿花を10組折り畳んだものを入れています。他にもオムツや防水シートや折りたためる洗面器とお湯の入った小さなポットなんかが入っている。時には亡くなった方に着せる仏衣(着物)を入れることもあります。
これでメイクバックを持つ左手とサブバックを担ぐ左手方が塞がりました。
ドライアイスの依頼があると右肩に10キロのドライアイスが入ったケースをかけることになるのですが、フラフラ重い荷物を持って歩く姿はあまりかっこよくはありません。
そんな訳で荷物が多い納棺士の移動手段は車です。
車があれば式場や駐車場のある自宅での仕事はあまり問題はありません。
しかし、都内のご自宅などでは家の前には車が止められず、荷物を持って移動することも、しばしばあります。
さぁ、そこに雨です。
雨が降れば傘を持つ手が必要となります。
どうにか空いている右手で傘をさしますが、全ての手が塞がり、チャイムを鳴らしたりドアを開けるのにまた、一苦労です。
なので、小雨ならつい、傘はささずに行こう!と小走りで荷物を抱えて自宅にお邪魔したまでは良かったけど、納棺式を終えて帰る頃に急な土砂降りになり、ビショビショの状態で車に辿り着く羽目になったりします。
唯一の救いは10キロのドライアイスの入っていたケースが空になっていることだけです。
そんな訳で、大学を卒業し入ってきた、か細い女性も、納棺士として認定を受ける一年後には結構、たくましくなっています。特に二の腕は力こぶが浮き出るほどにたくましくなるのです。
つまり、一人前の納棺士になるということは重い荷物を持てるように逞しくなることです(笑)そして経験を積むことで荷物だけでなくご遺族も支えられる程にしっかりと頼りがいのある納棺士に変貌しています。
雨の休日。
働いてる仲間を想像して、心の中で頑張ってと心配しながらも、休みでよかったーと思ってしまうは仕方がないことだと思うのです。
変わりゆく新しい世界
最近、納棺師でありながら研修の準備や新卒採用の為に日中はパソコンを、触っていることが多い。
元々事務作業が苦手な上に、オンラインだの動画配信だの初めての試みが多くて1人で調べて、やってみるの繰り返し。
それなら、休みは極力パソコンや携帯電話などのネット系から距離を置いて見ようと心に決めた。
FacebookもLINEも必要最小限にしてパソコンも開かない!
じゃぁ、お家時間どうやって過ごすか
映画を見よう!とAmazonプライムで映画を見たり、、、これもネットかぁ
じゃ、コロナ太り解消のため身体を動かそう!
YouTubeでいい動画があるんだよね、、、これもネットぉ。
じゃぁ、料理でも作るか
あっ、春キャベツどうやって料理しようー!
クックパッド先生教えてください。
コロナ禍ってどう読むのGoogle先生。
『コロナか』かー。ニュースで「コロナかによる延期」は、ずっと「コロナ化」って頭の中で変換してたけど「禍」だったのか。
クックパッド先生もGoogle先生もネットの中に住んでいるのね。
以前はどうやって生活してたんだろう。
今の私の生きてる世界は見事にネット世界にぶら下がって出来ている。
子供の頃(正直に言えば社会人になる頃まで)は家にパソコンも携帯もなかったのに。
ここ2、30年でネットに囲まれた生活が当たり前になっているんですよね。
コロナっていう大きな石を投げ入れられた今の世界も、波が収まった後、急速に新しい当たり前が出来ているに違いないと感じている。
納棺師という仕事でいうと、
新型コロナ禍以前(使い方合ってる?)、仕事を依頼してくれるお葬儀会社や葬儀の担当者から、マスクやグローブ(手袋)をご遺族の前でつけていると、外して欲しいと言われることがよくありました。
亡くなった方は、汚いものではないから、失礼にあたるという理由からです。
納棺師の研修では亡くなった方のボディチェックや、処置の時のグローブの着用はもちろんですが、その後も新しいグローブに変え、旅立ち前のお支度をお手伝いをするように伝えます。
それは納棺師自身の感染の危険や、ご遺族に広めてしまうかもしれない危険を防ぐ為です。
亡くなった方が汚いからではなく、大切な人に安心して近くで過ごして貰いたいから行う必要な防御でしたが、これをなかなか理解して貰えないことがありました。
しかし、この新型コロナのおかげでウイルスから身を守ることが当たり前になり、たくさんの方が防御策を取ってないことに不安を感じるようになりました。
そして、志村けんさんや岡江久美子さんの死は全ての人が、家族とのお別れの時間さえ制限されてしまうかもしれないことを知りました。
コロナで亡くなった方だけではなく、今、多くの人が病院や施設で離れ離れのまま死を迎えています。
大切な人を亡くし、最後に傍に居れなかったことで大きな喪失感や後悔を持っている方もたくさんいます。
葬儀の大切さを改めて感じる人が増えているいかもしれないし、亡くなった方の身支度を整えることに意味を見いだせない人が増えるかもしれない。
コロナ禍の後の、当たり前の世界は以前とどう変わっているのか。
私達、葬儀の業界でも、この新しい当たり前の世界とどう付き合っていくのか、重大な分かれ道に立たされていると感じる今日この頃です。
紙の上の納棺式
納棺式というお別れの時間を知ってほしくて始めたブログで、いいお別れは納棺式じゃなくても出来る!という話をする日がくるなんて・・・。
それもこれもコロナのせい💢
葬儀業界の新型コロナ影響は、あまり取りざたされませんが、ご多分に漏れず葬儀の現場でも影響が出始めています。葬儀の現場では立ち合いをせずに、もしくは小規模にお別れをするご遺族が増えています。
本日コロナが原因で亡くなった志村けんさんの訃報が流れ、国民皆さんが、ショックを受けました。
特に志村さんのお兄さんが、志村さんの亡骸は直接火葬をし、火葬時にさえ一緒にいれないと涙を流しているのを見て、私も胸が苦しくなりました。
もしかすると、自分の想いとは関係なく満足なお別れができてない人がこれからもっと増えていくのかもしれません。
私が納棺士としてご遺族のお別れのお手伝いをしていると、ご遺族の中に、亡くなった大切な人と、素敵なお別れの時間を作り出す「お別れの達人」がいます。
その人たちが、共通してやっていることは「亡くなった人との時間を振り返る」です。
葬儀や納棺式の時間なら、それが自然にできます。冷たくなった体に触れながらあの世に旅立つ準備をしたり、思い出の品を棺の中に納めます。
そして、葬儀や納棺式でご遺族は、悲しみや思い出を、葬儀に来てくれた人達と共有するのです。
この時間は、亡くなった大切な人が、今までとは形を変えて、また一緒に歩んでいくために必要な大切な時間です。
でも、そんな時間を持てない時、私は納棺士として、紙の上の納棺式という、小さな儀式をお勧めします。
実は、私も父の葬儀の時は何をしたらいいのかを知らずに、あっという間に終わった葬儀を今も後悔しています。
紙の上の納棺式
(私のお父さんバージョン)
まずは、思い出す作業です。
楽しかったこと、好きなもの、その人ならではのもの、趣味、今の気持ち、伝えたいことなんでもOK。
そして、それをどんな形で棺に入れていくか考えましょう。
雑誌やネットから印刷した物の切り抜き。
思い出の品がある時は写真に撮って印刷しておきます。
シールとか飾るものはなんでもオッケー。自由です。
という訳で、、、どどーん!
ありがとう、イラスト屋さん。
さっそく作って行きます。
棺(紙)を用意します。
まずは父の好きなカツオのお刺身をペタ。
そして、父のカラオケ十八番の石原裕次郎。本当歌が上手だったんですよ。
父の得意料理は「おにぎり」力任せに握るので餅みたいに硬いのですが、海苔を1枚使って作るおにぎり。もう一度食べたいなー。
おにぎり大きくて、はみ出しました。
はみ出してもオッケーです。
一緒に行ったゴルフの練習場や孫(うちの子達)と行った旅行でカモメに餌をあげたことも思い出しました。
綺麗な花で飾ってみます。
最後に、いつも父と母で取り合っていた猫の「みゆ」もペタッ。
賑やかになりました。あまり綺麗じゃないけど。
実はこれ、新入社員と入社式のワークでやったり、一般の方向けのセミナーでも行いました。
その人だけの作品が出来上がります。
出来たら親しい人と是非、共有してください。
亡くなってすぐは気持ちも落ち着かず思い出と向き合うことも難しいこともあります。
ただ、この納棺式はいつでも、何回でもできます。家族で各自の棺を作ってみるのもお勧めてす。
辛いとき、深呼吸して強制的にゆっくり自分に向き合う時間をとることをしましょう。
そしてメールや電話でもいいので、誰かとつながりましょう。きっと傍に寄り添ってくれる家族、友人、葬儀やさん、納棺士がいます。こんな時だからこそ周りを見渡して、誰かを思いやる気持ちを、持ち続けたいですね。