最後にありがとうと言えたなら ~亡くなった方が教えてくれたこと~

大切な方とのお別れの仕方をご遺体が教えてくれました

口元気にしてます!

納棺師としてのお仕事は先月で卒業したのですが、ふと思い出して笑ってしまうことがあります。

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10月のある日の出来事。

4月入社の新人さんがそろそろ独り立ちの季節。
このところ、現場に一緒に行くことが多いのですが、体力も気力も必要で正直いうと、しんどいなあと思うこともあります。

だけど、やっぱり人を育てるって大切だし、1人じゃ味わえない出来事もあります。

朝、新人さんが真顔で
「亡くなった方の口が元気ってどういう状態ですか?」

と質問してきました。

私「???」
現場に行く際には、指示書の様なものがあって、故人の年齢や性別、現場の情報なんかが書いてあります。

指示書を見ると
「故人の口元気にしてます」

新人よ。切るところ間違ってるよ
口元、気にしてるんだよ、、、と思ったけど

「元気ですかー!の、かー!ってぐらい大きな口開けてるって意味かな」と教えてあげた。

心の中でお腹が捩れるほど笑った。
これは、1人じゃ味わえない。

真剣な顔で考え込んでる新人さんが、ベテラン納棺師になったとき、今日のことを一緒に笑いたい。

よいお母さんになりたい私

今まで何人ものお母さんの納棺式を見てきました。
どんなに仲が悪くケンカばかりしていたとしても、会話がなくなっていた親子であっても「死」という出来事は、親子や人とのつながりを考え、気づかせてくれる、亡くなった方から送られる最後のギフトに思えて仕方がありません。


もちろん、お母さんに限らず、亡くなる方すべてが、そのギフトを残していくのですが、お母さんの死や生き方に心を動かされるのは、私自身がお母さんであり、そのうえ子供とのこの関係性にあまり自信がないので「こんなお母さんでありたい」という一種のあこがれが影響しているように思えます。

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七転八倒して生きてきた私が、子供達からどんな風に見えているのか、時々反省とともに、ふと考えたりします。
お友達と飲みすぎて玄関先で寝てしまって、「死んでるかと思った」と起こしてくれる長男、出掛ける時間ぎりぎりにパニック状態で探し物をしている私に「大丈夫、落ち着いて探そう」と一緒に探し物をしてくれる次男。

ほんとに神様はできた子供たちを私に送ってくれたものです。
興味のあることにすぐ飛びつき、ぶつかり、落ち込み・・・書けば書くほど私は母親として失格です。
そんな私ですが、この仕事が息子たちへのギフトを作ってくれていると思うことがあります。
 
10年以上前、突然、納棺師になろうと思う!と家族に宣言した時は、急な決断に家族全員が驚いていたようです。しかし、「葬儀のお手伝い」という私のざっくりした仕事内容の説明に、家族の誰一人が反対することなく見守ってくれていました。
これは普段からお互いを干渉しない全員B型の家族だったからなのか、それとも私を信じ、生き方を尊重してくれたからなのかはわかりません。
しかし、納棺師という仕事を始めたことが、私の考え方や生き方に大きな影響を与えました。今まで遠いところにあった「死」が急に日常になった私は、もう話したいことを毎日たくさん抱えてうちに帰ります。夕食の支度をしながら頭の中で「これは話せる話」「これは話せない話」と仕訳をして、夕ご飯が終わるとすぐに仕訳した「これは話せる話」をテーブルの上に広げてしまうわけですから、強制的に家族も巻き添えになります。


最初の被害者は主人だったと思います。仕訳を間違えて、仕事の話(特にご遺体の状況について)話してしまい、仕事の話は家に持ち帰らない!という旦那との新しいルールが出来てしまいました。

他にも亡くなった方に着物を着せる練習をしたくて、リビングのソファでうたた寝をしてる主人の体に着物をかけようとしていたら遺体役?!と怒られたこともありました。
納棺師の先輩にそのことを話したら、「寝ているご主人に気づかれないように着せられたら一人前!」と言われて「そうか」と、妙に納得したことを思い出します。


出張が多く留守がちな主人よりも被害が大きかったのは息子たちだったかもしれません。
納棺師として働き始めた頃、高校生一年生と中学3生の息子達は、思春期真っ只中で、当時はどんどん会話も少なくなっていました。

ご飯を食べたらすぐ2階の自分の部屋に入って、毎日オンラインゲームや友達と楽しそうに話していている時期でした。時々寂しくて、ねえねえと部屋に入っていくと、「今、忙しいから別な日に聞くよ」と優しく追い出されることもしばしば。

当時、私が納棺師という仕事を始めた事をどんな風に思っていたのか聞いてみると
「いつも、好きなことをやってるなぁ思っていた」という長男。
「何をやってるのか、あまりわからなかったけど、距離感は丁度よかった」という次男。
なんだかクールなこの親子の距離感にはいつも戸惑います。

それでもこの仕事を初めてからは話をすることが増えました。

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まだ納棺師になって間もないころ、自殺をした女子高校生のメイクを担当したことがありました。火葬までの数日間、毎日のように「顔が変わった」と葬儀社に連絡が入り、何度か自宅へ伺いました。私が見た限りあまり変わった様子はなかったのですが、「口角が下がった気がする」「顔の輪郭が変わってきた」「髪型の印象が違う」とお母さんは変化したと感じる場所を次から次と指摘します。口紅の描き方を変え、棺の中の枕の高さを変え、髪型を何度も整え、どんどん出来ることがなくなっていくのを感じつつ、どうにか工夫をしながら要望にお応えしようと努力しました。
 
きっとお母さんの心の中には、笑った娘さんの可愛い顔が大切にしまってあるのですから、それは、変わってしまったように見えて当たり前です。行くたびに娘さんの思い出話を一時間程話し、最後には必ず焼香に来るお友達はこれからも生きていくのに、この子だけ止まっちゃったのよね。と肩を落とすお母さんを見ていると胸が苦しくなります。


プロとして悲しんでいる方の側に立つとき、自分の持つ常識や考え方、感情を一旦脇に置いて、その人の感じていることをそのまま受け止めることが大切と学んできました。しかし、私は心のどこかでお母さんという自分の立場に重ねて、娘さんがいなくなったことを悲しみ、怒っています。
「あなたとのお別れに、こんなに悲しんで苦しんでいる人がいるのが見える?もし、生きている時に感じることができたら死ななかった?」と心の中で亡くなった娘さんに何度も問いかけてしまいます。


そして、私は家に帰るとこの心の中のモヤモヤをどうしても子供達に伝えておかなきゃと思うのです。

「自殺をしたその子がもし、ご両親の愛情に気づけていたらどうだったかな。私も君たちを大好きってことが伝わっているかが心配になったんだ」


「大丈夫だよ」と苦笑いする息子たち、それでも自分たちが感じたことを話してくれます。
その後も、納棺師として私が、亡くなった方から教えてもらった様々な物語を、息子たちに何度も話してきました。
自殺について、なぜ死ななくてはいけないのか、亡くなった人はどこにいくのか、いじめについて、LGBTについて・・・。
はじめは一方的な私の話でしたが、時間が経つにつれて息子たちからも自分の考えが聞けるようになって、我が家では「死」に関する話題があたりまえになりました。
 
相変わらず息子たちはゲームの中で、戦い、誰かを倒していますが、もちろんそれが現実の「死」とは別物で、現実の「死」が生きる人たちに与える影響について知っています。


彼らが今後、必ず経験する誰かとの死別。その時私はいないかもしれません。だけど唯一母親として残したものがその時、役にたつなら私もすごいお母さんの仲間入りができるのかもしれない、と希望も込めてそんな風に思ったりします。

本になるのかあ?

埼玉から電車を乗り継ぎ「神楽坂」へ
出口を教えてもらっていたのに、間違えたお陰でなんだかお洒落な街並みを眺めながら歩くこと、10分。

着いたのは「新潮社」という出版社。

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実は細々と書いていたこのブログが本になることに決まりましたー!!(本当に決まったのか?)

 

グリーフサポート研究所の認定資格を取るために、大人になって初めて書いた小論文があまりにも出来が悪く、愕然としたのは6年前。
文章を書くセミナーに参加したり、何度も小論文にチャレンジしたり…。ブログを始めたのも、そんなチャレンジの一つでした。

 

納棺式という、お別れの時間を知って欲しい。
大切な方とのお別れは必ず来るのに、誰もお別れの仕方を教えてくれない。
仕事を通して私が、亡くなった方に教えてもらったことを、どうにかたくさんの方に伝えたいってずっと思ってました。

 

そして、ブログをしていると、何の知名度もない私の記事を読んで、何かを感じてくれる人がいるんだって感激しました。
「いつか本という形でのこせたらな」ってっいう夢の話でした。

最近は体を壊したり、以前の様な働き方が出来ず、我慢や諦めることが多かったので本当に嬉しいです。

 

この後、出版社の方にお手伝い頂きながら、足りない部分の入稿を済ませ、来年本になる予定です。

 

しかし、何事にもすぐ不安になる私は、
本が本当に出来上がるのか。
(途中ポシャたらそっとしてあげてください)
本を手にしてくれる人がいるのか。

ずっとアワアワしています。

 

「夢じゃないかとほっぺたをつねる」って古いドラマの中でしかやらないことかと思ったけど、夜一人晩酌をしながら頬を、つねってみる。
そんなに痛くない…(多分アルコールのせい)


これから出版まで半年以上もアワアワしなくちゃいけないのかぁ。
どうぞ皆さま温かく見守って…ではなく、激しく応援してください。お願い。

上手くいかない日の話

(今回は亡くなった方のお体の変化について書いています。読みたくない方もいるかもしれません。)

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新人納棺師さんが時々

「私じゃなければ、もっといいお別れが出来たかも...」と悩みを打ち明けてくれることがあります。

一生懸命自分の出来ることを行ったけど、技術的にもっといい方法があっただろう、と落ち込んでいるのです。

 

私はこの気持ちよくわかります。

 

なぜなら今現在、私自身、落ち込んでます。

私は研修、採用を担当しているのですが、そうは言っても納棺師でもあるので、時々納棺師として出動しています。

研修では偉そうに、故人の死後の変化や、ご遺族とのコミュニケーションについて話していますが、現場に出ると他のやり方があったよな。とか、配慮が足りなかった...。とよく落ち込んでます。

 

昨日、安置施設で、ご遺族の立ち会いがない、納棺を担当しました。故人はお体が大きく、手足は浮腫がありました。担当者さんはこのまま破裂するのでは?と心配されるほどでした。

お体を確認すると、これから体液や血液が鼻や口から出てくる可能性や、水疱と言われる表皮に水膨れができ、それが破れてしまう可能性があるなぁと想像ができました。

今現在は口や鼻から体液が出てきていないことを確認して、綿をしっかり詰めたり、上半身を高くするなどの対策をして、納棺しましたが結局、納棺してから数時間後、鼻から体液が出てきてしまいました。

大きな方なので、納棺する事で内臓が圧迫されたことが原因か、腐敗の進行を止めるために、20キロのドライアイスを置いた場所が悪かったのか、考え出すと反省ばかりです。

他にも体液が出たときに備えて、着物を汚さないように防水シートをかけて様子を見ればよかったとか、対策を取らなかったことに対しても、あーすれば、こーすればと考えます。

 

結局、別の納棺師が手直しに向い、一旦棺から故人を移動して、汚れた仏衣を着せ替えし処置をしてくれました。

これが、故人の大切な着物だったら?ご遺族が出血しているのを見ていたら?

もう、こうなると落ち込みの連鎖が止まりません。

 

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そんな日に限って、次に向かったご自宅では若い女性の納棺です。在宅で見取りをしたご遺族は、私の一挙手一投足に注目しています。緊張しつつ、お顔に掛かった白い布をお取りすると、痩せたお顔は目が窪み、目が開いてこないように、紙テープが縦に2本、無造作に貼られていました。

生きてる方も美容の為にヒアルロン酸注射をすることがあります。亡くなった方にも同じようにお薬を注入して、目を閉じることができます。

特に痩せて目が窪んでしまった場合、綿などでふっくらさせるよりも自然に仕上がるので、こちらをお勧めします。

けれども遺族の前で目周りに注射針を刺す訳にいかず、慎重に綿で隠しながら手当てをします。目を閉じ、お顔周りの手当てが終わったら体のチェックです。

 

お布団を取ると下半身が、びちょびちょに濡れています。

水疱が破れ体液が外に漏れ出ていました。

体液特有の匂いも出ています。

 

暖かくなってくるこの時期、よく見る状況ではありますが、ご遺族がこの匂いを感じながら亡くなった方と日常を過ごされていたと考えると心が痛みます。

ご自宅での安置は、ご遺族が自分の生活の中で、無理なくゆっくりとした時間を過ごすことができます。しかし、安置施設と違い、温度や湿度などの環境管理が難しいですし、私たちが想像できない出来事も起こります。

以前おじいちゃんが寒そうだからと床暖房を入れていたご遺族がいました。もちろん、おじいちゃんは腐敗が進み背中を始めお顔まで緑色になりました。

ご自宅での安置はエンバーミングのような腐敗が進まないような処置を行うか、搬送の方、葬儀社会社の方、納棺師が連携して最適な環境づくりをしていくことが必須です。

 

今回は、これ以上体の変化が進まないように、水疱の処置をし、防水のズボンを履かせ、新しい布団、着物に着替えてお棺の中にが移動しました。

棺に入ったあと、なんとなくお顔の感じが変わったというご遺族に、私は最後まで寄り添えたか、自信がありません。

そしてその日から4日後の告別式まで、私の頭にはいつもその遺族や故人の顔がチラつきます。

 

新人納棺師さんが悩やむ

「私じゃなければ、もっといいお別れが出来たかも...」問題。

技術的にもっといい方法が、あっただろうと落ち込むことは、納棺師をしている限りずっと続きます。

だけど、ご遺族、故人が教えてくれたことや落ち込んだり、悔しい気持ちを経験して、自分経験を増やしていくことが、どこかの誰かの為になると信じて欲しいと思います。

そしてそのことを、今一番自分に、言い聞かせています。 

 

最後にこんな私が、この落ち込みをどう解消しているのかというと...。

同じ納棺師仲間を捕まえて、聞いて、聞いてと話しまくります。流石に新人納棺師さんの前ではちょっとカッコつけたいという厄介な感情もありますので、話す人も限られますが、私はこれで自分自身を保っています。聞いてくれる納棺師も優しくヨシヨシと聞いてくれます。それはきっと、どの納棺師も経験する感情だからかもしれません。

 

暑くなってくるこの時期は、私たちの仕事の大変さと大切さを同時に感じる季節です。

 

 

桜の下の棺

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桜の時期に思い出す光景

桜の季節になると、一枚の写真のように思い出す光景があります。
庭に咲いた桜の花。隣接する公園の桜の木と重なり、まるで切り絵のようです。桜の木の下には亡くなったお父さんが寝ている真っ白い棺が置いてあり、その周りで遺族が思い思いに話をしながら笑っています。
まるで映画のようなこんな光景を、一緒に見れるなんて、納棺師の特権だなと思います。
 
80代の男性の納棺式、いつものように担当者さんの後ろから、ご自宅の玄関に入ります。時代を感じる一軒家は、廊下や柱が赤茶色に色を変え艶々していて、きっと大切に住まわれてきたんだろうと感じる素敵なお宅でした。
廊下のつきあたり、縁側がある畳の部屋に亡くなったお父さんが寝ていらっしゃいます。襖を開けて一番先に私の目に飛び込んできたのは、桜の木でした。
木枠の古い引き戸が大きく開いていて、お庭の桜の木がきれいに花を咲かせています。しかもそれだけではなく隣接する公園の桜も見え、きれいに整えられた芝生とその奥に広がるピンク色に圧倒されてしまいました。

「みごとな景色ですね」とご挨拶も忘れて、お父さんの横に正座をしている奥様に声をかけると
「主人の趣味であった庭いじりのおかげで、みなさんにそう言ってもらえるんですよ」と穏やかに微笑んでいらっしゃいます。桜の名所となっている公園は、休日ではないものの、花見シーズンということもあり、すぐそばで小さな子供を呼ぶお母さん達の声が聞こえてきます。

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厳しいお父さんの楽しみ
納棺式をはじめようと、ご遺族を呼ぶと50代後半ぐらいの息子さん二人とその奥様、高校生や20歳前後の子供たち(故人のお孫さん)5名が立ち会われ広い和室も少し窮屈に感じるほどでした。

少し広くしましょうと奥様が隣部屋の襖も開けました。するとそこは四方を本棚に囲まれた小さな部屋が現れました。
息子さんが部屋の中に座布団をひきながら「ここは立ち入り禁止だからな、親父怒るかもな」と笑ってます。
「すごい本!書斎ですか?」そう聞くと
「父は日本文学の先生だったからね、この部屋にいるときは、ご飯だと声をかけても出てこなかったし、子供のころはここは父だけが入れる特別な場所だったんですよ」と息子さんが部屋をみまわしながら答えてくれました。

「口数も少ない人だから、子供たちにとっては、どこか怖い存在だったかもしれませんね」
奥様がいうと息子さんたちも笑いながら同意します。
 
好きだった深い紺色の着物に着替えると「先生」らしく凛とした姿にご遺族の方々がホッとしたのか、会話が多くなりました。

口数の少なかったお父さんですが、家族が集まる恒例の花見をとても楽しみにしていたようです。孫が好きなあの料理を作ってくれと奥様に料理のリクエストしたり、毎年とっておきのワインを出してきたり、人数分の椅子を庭に用意したりと、体が動くうちは、お父さんが全て取り仕切って行う恒例行事でした。
老人ホームに入ってからもこの時期はお花見をしに帰宅していたようです。毎年撮った集合写真まで並べて見せてくれ、納棺式がなかなか進みません。
しかし、いつもの流れをふっ飛ばしてでも、聴きたい話でした。そして、ご遺族にとっても今話さないといけない、思い出でした。
皆さんで写真を見ながら盛り上がっているところで、私は会話から離れて納棺の準備をすることにしました。
 
実は部屋の入り口の作りが狭く、縁側から棺を入れようとあらかじめ準備をしていたのですが、花見の話を聞いていた担当者さんが、私にだけ聞こえる声で「ここに置いちゃおうか」とニヤっと桜の花の下に棺台を置きました。
その、いたずらを思いついたような顔と同じ顔で、「花見と言ったらお酒ですよね」と私は祭壇に飾ってあるワインを小さく指さしました。お父さんが好きだったワインです。
 
その提案を、担当者さんがご遺族に話すと、お孫さんたちが「おじいちゃんと花見できるの!?」と驚いたような声を上げていましたが、皆さん次々に玄関から靴を持ち庭へ移動します。棺にお父さんを移動して棺の中を綺麗に整えたところで、私は退席することになりましたが、花見はまだまだ始まったばかりです。
 
桜の木の下には、亡くなったお父さんが寝ている真っ白い棺が置いてあり、その周りでご遺族が思い思いに話をしながら笑っています。

お父さんとの最後のお花見。

映画だったら、きっとエンドロールが流れているに違いありません。

 

桜には大切な人との思い出があります。楽しい思い出があるからこそ、そばに大切な人がいないと桜の時期が辛く感じてしまうこともあります。

 

私の父は、ゴールデンウィークの頃に亡くなりました。両親が住んでいた仙台は桜がまだ咲いている頃です。

母は病院に行くたびに、涙を流さない様に病室の前で深呼吸して、今日何を話そうかと考えてドアを開けていたと話していました。

なるべく明るい話をしたくて、毎年行っていた桜の話をすることもありました。

「今年も見に行きたいね」と。

ある日父は、自分がもう桜を見れないのを感じたのかもしれません。母に「もう、桜の話はしないで」 と言ったそうです。その話を聞いた時、私は父や母がそんな辛い時間を過ごしているのかと涙が止まらなくなりました。

 

だから、桜をみると今でも私の心の中にはチクンと痛む場所もあります。

 

毎年綺麗に咲く桜。すぐに散ってしまうけど、桜の咲く時期には大切な誰かと、一緒に綺麗な桜を見たくなります。

 

 

お母さんの匂い

お母さんの匂い
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まだ小さな子供がいらっしゃるお母さんの納棺式はいつも緊張します。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
伺う前からつい、そんなことを想像して、悲しい気持ちになってしまうこともあります。
 
だけど、私は何人もの、立派なお母さんやお父さん達のお別れの場面を見てきました。
そんな時、私の浅はかな想像が間違っていると何度も気づかされます。
 
40代のお母さんの納棺式はご自宅の大きなリビングで行いました。
アーモンド色のフローリングと白い壁と大きな2面の窓から見える緑が眩しいお部屋での、納棺式です。
 
部屋の中央にベッドが置かれ、亡くなったお母さんが寝ています。お母さんの横には、小学校低学年の弟さんと高学年のお姉さんがちょこんと座っているのが見えました。
 
葬儀の担当者とバタバタと、廊下に置かれている荷物の片付けているお父さんにご挨拶をして、亡くなったお母さんが眠るベットへ向かいます。
 
はじめまして、今日はよろしくお願いします。
 
お子さん達はベットの上からぴょんとおりると、人懐っこく微笑みながら私の挨拶に答えてくれます。
 
部屋に入って来た時の子供達がベットの上でとてもリラックスした様子でゲームをしていたので私は少し『邪魔をしてしまった』気持ちになりました。
 
お母さんのお化粧と着せ替えをするからお手伝いしてくれる?
 
少し恥ずかしそうに、お母さんの妹さんである叔母さんの背中に小走りで周り込み、ニコッと笑いながら頷きます。
 
大きな窓から5月の光が優しく注がれる中、ベッドの横に立ち、納棺式の準備を行います。
 
ベットの近くに来ると、目の前の大きな窓から家のすぐ横の公園の木々や、道路を通る人達の様子や、真っ青な空が目の前に飛び込んで来ます。
 
闘病期間も、きっとお母さんはこの窓から少しずつ変わっていく景色を見ていたんだろうな。
ベッドの傍らにちょこんと座るお子さん達と一緒に。
 
お母さんの痩せた体に触れ、手当が必要なところがないか確認し、布で隠しながら口や鼻を綺麗に拭きます。
 
「ご闘病は長かったのですか?」
故人の妹さんにお聞きします。
どのくらい痩せたのか、お顔色の変化はあるのか?どんな方だったのか。私の知らない故人のことをお聞きするための最初の質問です。
 
2年間の闘病生活があり、最後の半年は自宅で過ごされた故人。最後の夜も子供達、妹さんとたくさんの話を交わされたそうです。
 
そっか、お母さんと過ごした時間の中で、小学生の娘さん、息子さんはお母さんの死を少しづつ理解していったのか…。凄いお母さんです。
 
見えないように手元を隠し、口の中を消毒した後、少量の綿を痩せた頬に添わせるように入れ不自然にならないように整えます。
 
準備をしていると、子供達が時々お母さんのところに来ては、鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ、離れて行きます。

何だろ??
見た目はいつもと変わらなくても亡くなってしまうと口や鼻などから匂いが発生してしまいます。私はこういった匂いがお別れの時間の邪魔をしないように、匂いがないことを一番にお体の手当てを行っていました。
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しっかりと手当をしたけど、、、と心配になり、「何かいつもと違う?」と聞くと
 
『お母さんの匂いがない』
 
思いがけない返事に驚きながらも
「お母さんの匂いってどんな匂い?」と聞くと、すぐに
「お化粧の匂い!」という返事。
じゃあ一緒にお化粧しよう。と提案すると子供たちがニコニコしながら顔を見合わせました。急に立ち上がると走って廊下につながる扉の向こうに消えていきました。1分もしないうちに滑り込むように戻って来ました。
 
お姉ちゃんが説明をしてくれます。
これがお気に入りのファンデーションと口紅。
これが大切なチーク。いつも朝はこのチークをつけるの。つける順番はねえ…。
もう、話が止まりません。私も嬉しくなってうん、うんと話を聞きます。
 
朝起きるとベットの上でお化粧をするお母さん、もしかすると顔色が悪くなっていたことを隠すためだったのかもしれません。
 
もう我慢できないという感じで、弟さんも教えてくれます。
この、ヘアーオイルは海外のもので、すごく高いんだよ。ココナツの匂いがするんだ。いい匂いでしょ。
そう言って慣れたようにオイルを手にとってお母さんの髪を撫でるようにつけていきます。
そして髪の毛に顔を近づけてなんども大きく息を吸います。
 
お母さんの匂いだー
 
子供達があまりに楽しそうにお母さんのお世話をするので、亡くなったお母さんの妹さんもそばにきて、笑いながら子供たちと一緒にお化粧や髪の毛を整えます。
 
お化粧が、一段落するとお話しは、窓から見える景色の話にもなりました。学校に行く時はお母さんがベットから降りて手を振ってくれたこと。
公園の木は今は緑だけど、桜が咲いたり、どんぐりがなったり、その度に桜の花びらやどんぐりの実をお母さんに届けたこと。
 
亡くなったお母さんは子供達とのたくさんの会話や普段の生活の中で、いろんなものを残しました。
あなたはすごい方ですね!
 
徐々に部屋中がお母さんの匂いで満たされていきます。
 
それまで電話や葬儀の準備で忙しくすることで無意識にお別れを避けていたお父さんも、奥さんのそばに近づてお顔を見ます。
 
「はは、お母さんだね」
お父さんの目からは今にも涙が溢れそうでした。
 
棺へご移動する前に少し席を外し、ご遺族だけで過ごす時間を取りました。
 
いつものようにベッドに腰掛け、窓からの景色をみながら最後の時間を過ごす事が今日のご遺族には、必要な気がしました。
 
子供達が長い時間、必死にお母さんの髪の毛に顔を埋めて、匂いを嗅いでいるのをみると、清潔にすることだけが私たちの仕事じゃないなと思うのです。
 
窓から差し込む光の中で、ベッドの上に寝ているお母さんの顔を抱きしめるように、子供たちが座っています。
お父さんもベッドの子供たちの手に触れながら外を見ている。
 
廊下から見たその様子は、窓枠に縁取られた1枚の大きな絵のようで、いつまでもそこに飾っておきたいと願ってしまいます。
 
納棺師はご遺族が安心して大切な方との最後の時間を過ごしてもらえるように、様々な処置の方法を学んでいます。しかし、そこには必ずご遺族の思いも吹き込まないと納棺師の自己満足になってしまうこともあります。
 
私達の仕事はご遺族の想いに気づき、その想いを形にすることです。そして少しでもそれが叶った時、私はこんな尊い時間に同席することが出来るのだと感じます。
 
ご家族にとって留めておけない時間だからこそ、私はこの時間に何が出来るのか、答えを探し続けます。 
 
残念ながら、納棺式の短い時間では答えが見つからないこともたくさんあります。ご遺族自身も深い悲しみの中、たくさんのことに戸惑い、迷われているから。
 
だからこそ、例え答えが見つからなくても、ご遺族と一緒に悩み考える伴走者になれたらと思います。
 
亡くなった方は教えてくれます。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
という、私の想像がとても浅はかだということを。
お母さんは、今を一生懸命に生きてました。
その生き抜いた姿は、死をも含めて、これから先ずっと大きなものを、子供達に渡し続けると感じるのです。
 
帰り道、公園の駐車場へ向かう途中にご自宅を見上げると、子供たちが手を振っています。
 
子供達が、窓からの景色やお母さんの匂いと共にこれから何度も思い出せる、最後の時間になっていたらと願いながら手を振り返えしました 。

言葉に残すこと

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いつも、思うことがあります。

納棺式で、ご遺族の言葉が亡くなった方に届いているのだろうか。

 

私はたまたま、納棺師という職業でご遺族のお別れの場に立たせていただいてます。ご遺族の言葉に涙が出てくる事もあります。

 

でもその言葉は私や周りに聞かせたいものではないはずです。

聞いて欲しい人は一人だけ。

亡くなった大切な人です。

 

以前、出張先で亡くなった60代の男性の納棺式に行きました。

小学校の低学年のお孫さんが、まるで赤ちゃん返りをしたように、お母さんにべったりとくっついています。何か言いたそうに、ぐずっていて、周りの家族がちゃんとしなさいと注意をしていました。

 

おじいちゃんが棺の中にはいると、とうとうお孫さんは泣き出してしまいます。何度か問いかけると、出かける前におじいちゃんとケンカをしたことを打ち明けました。

話し始めると、棺に入ったおじいちゃんに、いつまでもごめんなさい、ごめんなさいと蓋を閉められないほど大きな声で泣いていました。

おばあちゃんはお孫さんに向かって、「あんたのこと大好きだったじいちゃんが怒ってるわけないでしょう」とお孫さんの肩を揺らしながら

諭すように話しています。

そんな状況でも私は時間を気にしなければなりません。

 

『この後悲しみを共有し合った遺族が支え合うに決まってる』そう自分に言い聞かせて、棺の蓋は開けたまま、私は胸を締め付けるような気持ちでお孫さんの鳴き声だけが聞こえる部屋を後にしました。

 

ご遺族は棺の中の故人へ声をかけます

しかしその声に返事は返ってきません。

もしお孫さんがあんなに泣いて謝っているその声が、亡くなったおじいちゃんに届いていれば、おじいちゃんは

『そんなこと気にしてないよ、大好きなんだからね。それを忘れないで』って頭を撫でてくれるような気がします。

だけど実際は、その声をきくことはありいません。

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と、思っていると、棺の中で奥様の言葉に答えた故人に遭遇しました。

 

その方の納棺式は、奥さまが亡くなったお父さんと結婚してよかった、しあわせだったと終始、故人への「ありがとう」の言葉が溢れる時間でした。

 

もし、お父さんの声がきけたならきっと照れ臭そうに「俺もだよ」って言うだろうなあと思いながら思い出の品物に囲まれた棺の中のお父さんを再度見ました。

 

俳句が好きだったお父さんの枕元にはたくさんの俳句が書かれたノートや色紙が並んでいます。

そこには日常のありふれた時間を切り取ったような言葉が並んでいます。そして、その言葉にはたくさんの愛情と感謝が詰まっています。

 

奥様の干した布団に、手足を伸ばす気持ちよさを描いた俳句

 

暖かくなってきた庭に猫が日向ぼっこする姿を奥様と見たことを描いた俳句

 

まるで幸せでしたと話しかける奥様へ優しく答えているようです。

 

「私も幸せだったよ」と。

 

奥さんへの感謝の気持ちが溢れている素敵な俳句ですね。と伝えると

「本当に私は幸せ者」と息子さん達と笑います。

 

よく、亡くなってからも、音は聞こえるということを聞きます。

だけど、どんな言葉をかけてもらっても返事をすることは難しい。

俳句や手紙など言葉を残すことも大切だけど、もっと手っ取り早く普段から伝えることが大切なんだと思います。

私は出来ていないのだけれど…。

 

身近な人ほど、なかなか言えてない「ありがとう」や「ごめんね」

言わずに嫌な気持ちになると、あの奥様の優しい表情を思い出します。