最後の会話
深い悲しみから逃げたくなる時
死別を体験したご遺族の悲しみは、はかり知れないものがあります。
悲しんでる人の側にいるって大変です。
しかし、私たち納棺士は「納棺式」というお別れの場でご遺族のお手伝いをする仕事です。
側にいる覚悟を持たなくてはならない。
、、、とは思っていても
胸が痛み逃げてしまいたくなるほどの悲しみに触れることもあります。
もうだいぶ前の話ですが、お子さんを亡くされたご遺族の話です。
ご自宅におうかがいした時はクリスマスの時期でお部屋の中には小さなクリスマスツリーが飾ってありました。
整理整頓されたお部屋には子供の写真がたくさん飾ってあり、亡くなったお子さんの妹さんが、リビングのテーブルでジグソーパズルをしています。
大切な子供を亡くされたお母さんは、納棺式でまるで私の声が聞こえてないようでした。
お父さんがテキパキと対応するなか、お母さんは息子さんのお気に入りの、アニメのキャラクターのぬいぐるみを、抱えたまま、動きません。
亡くなったのは7歳の男の子。パジャマ姿で寝ている姿は同じ年齢の子供よりも小さく見えます。今にも寝息をたてそうな可愛らし寝顔でお布団に寝ています。
お着せ替えと顔色に赤みを足し皆さんにかおを拭いてもらう間も、お母さんは無反応、無表情でした。
お父さんに手伝ってもらい、お棺の中の布団に、お子さんを寝かせると、涙を堪えきれなくなったようで、お父さんは席を外しました。
自宅のマンションでの納棺でしたが、外の世界とは遮断されたように本当に静かでした。
まだ、幼稚園に行き始めたばかりぐらいの妹さんも、何かを感じているように静かに遊んでます。
小さなお棺の中にいるお子さんを見ながらお母さんが唐突に話をはじめました。
男の子は、生まれつき心臓に病気があり手術や入退院を何度も繰り返していました。
お子さんが亡くなる数日前にお母さんに言った言葉は
「ママごめんね」でした。
それまでどんな辛い時も、泣きたいのは母親の自分ではなく、病気と闘っている子どもの方。
そう思って泣くこともなかったお母さんも、子供を抱きしめて初めて声をだして泣いたとおっしゃってました。
納棺式ではお子さんの冷たい手を両手で包みながら、7歳の子供にそんな言葉を言わせてしまった。と肩を落とされている姿が忘れられません。
お子さんもお母さんもすごく頑張ったんだ、そう感じたのに、そんな言葉で、そんな軽い言葉をかけたくなかった。
どんなに探してもら私の中にはふさわしい言葉が見つからなくて、結局側にいることしか出来ませんでした。
最後の会話
最後の会話は残された人にとって忘れられない言葉になると思う。
納棺式で話を伺っていると、時々こんな風に最後の会話を教えていただけることがあります。
80代の男性は亡くなる前夜に、ずっと介護をしていた娘さんに
「浅草で食べた蕎麦は美味かったなぁ」ってしみじみ話したそうです。
浅草で蕎麦を食べたのは30年も前の話。
秋田県から上京して来たお父さんに初めてご馳走した天ぷら蕎麦だったそうです。
「それまで痴呆で、以前の父らしさは無くなってしまったと思ってたから、亡くなる前に父が戻ってきたと思ったの」
「話たいことはたくさんあったのにありがとうしかいえなかった」
それでも娘さんの顔は微笑んでいらっしゃいました。
棺の中には浅草寺の御朱印とラップに包んだ天ぷらとお蕎麦が入れられました。
普段、私達は沢山の言葉を使い沢山の人とコミュニケーションをとります。
最後の会話は
必死に伝えたい言葉と
必死に受け取りたい言葉が交差する瞬間なのかもしれない。
勿論亡くなってからも自分の思いを伝えることは大切だと日々感じます。
亡くなった方の、お体、お顔を見て伝えることができる時間は限られているからです。
今までご遺族の口から亡くなった方への言葉は数えきれない
ありがとう。
愛してる。
お疲れ様でした。
頑張ったね。
しばらく待っててね。
またね。
そこには沢山の想いが詰まっている。
そんなことを考えていると、普段業務連絡とクレームしかない旦那との会話を改善しなきゃと思いました。
大切な人と会話をしよう。