お母さんの匂い
お母さんの匂い
まだ小さな子供がいらっしゃるお母さんの納棺式はいつも緊張します。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
伺う前からつい、そんなことを想像して、悲しい気持ちになってしまうこともあります。
だけど、私は何人もの、立派なお母さんやお父さん達のお別れの場面を見てきました。
そんな時、私の浅はかな想像が間違っていると何度も気づかされます。
40代のお母さんの納棺式はご自宅の大きなリビングで行いました。
アーモンド色のフローリングと白い壁と大きな2面の窓から見える緑が眩しいお部屋での、納棺式です。
部屋の中央にベッドが置かれ、亡くなったお母さんが寝ています。お母さんの横には、小学校低学年の弟さんと高学年のお姉さんがちょこんと座っているのが見えました。
葬儀の担当者とバタバタと、廊下に置かれている荷物の片付けているお父さんにご挨拶をして、亡くなったお母さんが眠るベットへ向かいます。
はじめまして、今日はよろしくお願いします。
お子さん達はベットの上からぴょんとおりると、人懐っこく微笑みながら私の挨拶に答えてくれます。
部屋に入って来た時の子供達がベットの上でとてもリラックスした様子でゲームをしていたので私は少し『邪魔をしてしまった』気持ちになりました。
お母さんのお化粧と着せ替えをするからお手伝いしてくれる?
少し恥ずかしそうに、お母さんの妹さんである叔母さんの背中に小走りで周り込み、ニコッと笑いながら頷きます。
大きな窓から5月の光が優しく注がれる中、ベッドの横に立ち、納棺式の準備を行います。
ベットの近くに来ると、目の前の大きな窓から家のすぐ横の公園の木々や、道路を通る人達の様子や、真っ青な空が目の前に飛び込んで来ます。
闘病期間も、きっとお母さんはこの窓から少しずつ変わっていく景色を見ていたんだろうな。
ベッドの傍らにちょこんと座るお子さん達と一緒に。
お母さんの痩せた体に触れ、手当が必要なところがないか確認し、布で隠しながら口や鼻を綺麗に拭きます。
「ご闘病は長かったのですか?」
故人の妹さんにお聞きします。
どのくらい痩せたのか、お顔色の変化はあるのか?どんな方だったのか。私の知らない故人のことをお聞きするための最初の質問です。
2年間の闘病生活があり、最後の半年は自宅で過ごされた故人。最後の夜も子供達、妹さんとたくさんの話を交わされたそうです。
そっか、お母さんと過ごした時間の中で、小学生の娘さん、息子さんはお母さんの死を少しづつ理解していったのか…。凄いお母さんです。
見えないように手元を隠し、口の中を消毒した後、少量の綿を痩せた頬に添わせるように入れ不自然にならないように整えます。
準備をしていると、子供達が時々お母さんのところに来ては、鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ、離れて行きます。
何だろ??
見た目はいつもと変わらなくても亡くなってしまうと口や鼻などから匂いが発生してしまいます。私はこういった匂いがお別れの時間の邪魔をしないように、匂いがないことを一番にお体の手当てを行っていました。
しっかりと手当をしたけど、、、と心配になり、「何かいつもと違う?」と聞くと
『お母さんの匂いがない』
思いがけない返事に驚きながらも
「お母さんの匂いってどんな匂い?」と聞くと、すぐに
「お化粧の匂い!」という返事。
じゃあ一緒にお化粧しよう。と提案すると子供たちがニコニコしながら顔を見合わせました。急に立ち上がると走って廊下につながる扉の向こうに消えていきました。1分もしないうちに滑り込むように戻って来ました。
お姉ちゃんが説明をしてくれます。
これがお気に入りのファンデーションと口紅。
これが大切なチーク。いつも朝はこのチークをつけるの。つける順番はねえ…。
もう、話が止まりません。私も嬉しくなってうん、うんと話を聞きます。
朝起きるとベットの上でお化粧をするお母さん、もしかすると顔色が悪くなっていたことを隠すためだったのかもしれません。
もう我慢できないという感じで、弟さんも教えてくれます。
この、ヘアーオイルは海外のもので、すごく高いんだよ。ココナツの匂いがするんだ。いい匂いでしょ。
そう言って慣れたようにオイルを手にとってお母さんの髪を撫でるようにつけていきます。
そして髪の毛に顔を近づけてなんども大きく息を吸います。
お母さんの匂いだー
子供達があまりに楽しそうにお母さんのお世話をするので、亡くなったお母さんの妹さんもそばにきて、笑いながら子供たちと一緒にお化粧や髪の毛を整えます。
お化粧が、一段落するとお話しは、窓から見える景色の話にもなりました。学校に行く時はお母さんがベットから降りて手を振ってくれたこと。
公園の木は今は緑だけど、桜が咲いたり、どんぐりがなったり、その度に桜の花びらやどんぐりの実をお母さんに届けたこと。
亡くなったお母さんは子供達とのたくさんの会話や普段の生活の中で、いろんなものを残しました。
あなたはすごい方ですね!
徐々に部屋中がお母さんの匂いで満たされていきます。
それまで電話や葬儀の準備で忙しくすることで無意識にお別れを避けていたお父さんも、奥さんのそばに近づてお顔を見ます。
「はは、お母さんだね」
お父さんの目からは今にも涙が溢れそうでした。
棺へご移動する前に少し席を外し、ご遺族だけで過ごす時間を取りました。
いつものようにベッドに腰掛け、窓からの景色をみながら最後の時間を過ごす事が今日のご遺族には、必要な気がしました。
子供達が長い時間、必死にお母さんの髪の毛に顔を埋めて、匂いを嗅いでいるのをみると、清潔にすることだけが私たちの仕事じゃないなと思うのです。
窓から差し込む光の中で、ベッドの上に寝ているお母さんの顔を抱きしめるように、子供たちが座っています。
お父さんもベッドの子供たちの手に触れながら外を見ている。
廊下から見たその様子は、窓枠に縁取られた1枚の大きな絵のようで、いつまでもそこに飾っておきたいと願ってしまいます。
納棺師はご遺族が安心して大切な方との最後の時間を過ごしてもらえるように、様々な処置の方法を学んでいます。しかし、そこには必ずご遺族の思いも吹き込まないと納棺師の自己満足になってしまうこともあります。
私達の仕事はご遺族の想いに気づき、その想いを形にすることです。そして少しでもそれが叶った時、私はこんな尊い時間に同席することが出来るのだと感じます。
ご家族にとって留めておけない時間だからこそ、私はこの時間に何が出来るのか、答えを探し続けます。
残念ながら、納棺式の短い時間では答えが見つからないこともたくさんあります。ご遺族自身も深い悲しみの中、たくさんのことに戸惑い、迷われているから。
だからこそ、例え答えが見つからなくても、ご遺族と一緒に悩み考える伴走者になれたらと思います。
亡くなった方は教えてくれます。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
という、私の想像がとても浅はかだということを。
お母さんは、今を一生懸命に生きてました。
その生き抜いた姿は、死をも含めて、これから先ずっと大きなものを、子供達に渡し続けると感じるのです。
帰り道、公園の駐車場へ向かう途中にご自宅を見上げると、子供たちが手を振っています。
子供達が、窓からの景色やお母さんの匂いと共にこれから何度も思い出せる、最後の時間になっていたらと願いながら手を振り返えしました 。