言葉に残すこと
いつも、思うことがあります。
納棺式で、ご遺族の言葉が亡くなった方に届いているのだろうか。
私はたまたま、納棺師という職業でご遺族のお別れの場に立たせていただいてます。ご遺族の言葉に涙が出てくる事もあります。
でもその言葉は私や周りに聞かせたいものではないはずです。
聞いて欲しい人は一人だけ。
亡くなった大切な人です。
以前、出張先で亡くなった60代の男性の納棺式に行きました。
小学校の低学年のお孫さんが、まるで赤ちゃん返りをしたように、お母さんにべったりとくっついています。何か言いたそうに、ぐずっていて、周りの家族がちゃんとしなさいと注意をしていました。
おじいちゃんが棺の中にはいると、とうとうお孫さんは泣き出してしまいます。何度か問いかけると、出かける前におじいちゃんとケンカをしたことを打ち明けました。
話し始めると、棺に入ったおじいちゃんに、いつまでもごめんなさい、ごめんなさいと蓋を閉められないほど大きな声で泣いていました。
おばあちゃんはお孫さんに向かって、「あんたのこと大好きだったじいちゃんが怒ってるわけないでしょう」とお孫さんの肩を揺らしながら
諭すように話しています。
そんな状況でも私は時間を気にしなければなりません。
『この後悲しみを共有し合った遺族が支え合うに決まってる』そう自分に言い聞かせて、棺の蓋は開けたまま、私は胸を締め付けるような気持ちでお孫さんの鳴き声だけが聞こえる部屋を後にしました。
ご遺族は棺の中の故人へ声をかけます
しかしその声に返事は返ってきません。
もしお孫さんがあんなに泣いて謝っているその声が、亡くなったおじいちゃんに届いていれば、おじいちゃんは
『そんなこと気にしてないよ、大好きなんだからね。それを忘れないで』って頭を撫でてくれるような気がします。
だけど実際は、その声をきくことはありいません。
と、思っていると、棺の中で奥様の言葉に答えた故人に遭遇しました。
その方の納棺式は、奥さまが亡くなったお父さんと結婚してよかった、しあわせだったと終始、故人への「ありがとう」の言葉が溢れる時間でした。
もし、お父さんの声がきけたならきっと照れ臭そうに「俺もだよ」って言うだろうなあと思いながら思い出の品物に囲まれた棺の中のお父さんを再度見ました。
俳句が好きだったお父さんの枕元にはたくさんの俳句が書かれたノートや色紙が並んでいます。
そこには日常のありふれた時間を切り取ったような言葉が並んでいます。そして、その言葉にはたくさんの愛情と感謝が詰まっています。
奥様の干した布団に、手足を伸ばす気持ちよさを描いた俳句
暖かくなってきた庭に猫が日向ぼっこする姿を奥様と見たことを描いた俳句
まるで幸せでしたと話しかける奥様へ優しく答えているようです。
「私も幸せだったよ」と。
奥さんへの感謝の気持ちが溢れている素敵な俳句ですね。と伝えると
「本当に私は幸せ者」と息子さん達と笑います。
よく、亡くなってからも、音は聞こえるということを聞きます。
だけど、どんな言葉をかけてもらっても返事をすることは難しい。
俳句や手紙など言葉を残すことも大切だけど、もっと手っ取り早く普段から伝えることが大切なんだと思います。
私は出来ていないのだけれど…。
身近な人ほど、なかなか言えてない「ありがとう」や「ごめんね」
言わずに嫌な気持ちになると、あの奥様の優しい表情を思い出します。