上手くいかない日の話
(今回は亡くなった方のお体の変化について書いています。読みたくない方もいるかもしれません。)
新人納棺師さんが時々
「私じゃなければ、もっといいお別れが出来たかも...」と悩みを打ち明けてくれることがあります。
一生懸命自分の出来ることを行ったけど、技術的にもっといい方法があっただろう、と落ち込んでいるのです。
私はこの気持ちよくわかります。
なぜなら今現在、私自身、落ち込んでます。
私は研修、採用を担当しているのですが、そうは言っても納棺師でもあるので、時々納棺師として出動しています。
研修では偉そうに、故人の死後の変化や、ご遺族とのコミュニケーションについて話していますが、現場に出ると他のやり方があったよな。とか、配慮が足りなかった...。とよく落ち込んでます。
昨日、安置施設で、ご遺族の立ち会いがない、納棺を担当しました。故人はお体が大きく、手足は浮腫がありました。担当者さんはこのまま破裂するのでは?と心配されるほどでした。
お体を確認すると、これから体液や血液が鼻や口から出てくる可能性や、水疱と言われる表皮に水膨れができ、それが破れてしまう可能性があるなぁと想像ができました。
今現在は口や鼻から体液が出てきていないことを確認して、綿をしっかり詰めたり、上半身を高くするなどの対策をして、納棺しましたが結局、納棺してから数時間後、鼻から体液が出てきてしまいました。
大きな方なので、納棺する事で内臓が圧迫されたことが原因か、腐敗の進行を止めるために、20キロのドライアイスを置いた場所が悪かったのか、考え出すと反省ばかりです。
他にも体液が出たときに備えて、着物を汚さないように防水シートをかけて様子を見ればよかったとか、対策を取らなかったことに対しても、あーすれば、こーすればと考えます。
結局、別の納棺師が手直しに向い、一旦棺から故人を移動して、汚れた仏衣を着せ替えし処置をしてくれました。
これが、故人の大切な着物だったら?ご遺族が出血しているのを見ていたら?
もう、こうなると落ち込みの連鎖が止まりません。
そんな日に限って、次に向かったご自宅では若い女性の納棺です。在宅で見取りをしたご遺族は、私の一挙手一投足に注目しています。緊張しつつ、お顔に掛かった白い布をお取りすると、痩せたお顔は目が窪み、目が開いてこないように、紙テープが縦に2本、無造作に貼られていました。
生きてる方も美容の為にヒアルロン酸注射をすることがあります。亡くなった方にも同じようにお薬を注入して、目を閉じることができます。
特に痩せて目が窪んでしまった場合、綿などでふっくらさせるよりも自然に仕上がるので、こちらをお勧めします。
けれども遺族の前で目周りに注射針を刺す訳にいかず、慎重に綿で隠しながら手当てをします。目を閉じ、お顔周りの手当てが終わったら体のチェックです。
お布団を取ると下半身が、びちょびちょに濡れています。
水疱が破れ体液が外に漏れ出ていました。
体液特有の匂いも出ています。
暖かくなってくるこの時期、よく見る状況ではありますが、ご遺族がこの匂いを感じながら亡くなった方と日常を過ごされていたと考えると心が痛みます。
ご自宅での安置は、ご遺族が自分の生活の中で、無理なくゆっくりとした時間を過ごすことができます。しかし、安置施設と違い、温度や湿度などの環境管理が難しいですし、私たちが想像できない出来事も起こります。
以前おじいちゃんが寒そうだからと床暖房を入れていたご遺族がいました。もちろん、おじいちゃんは腐敗が進み背中を始めお顔まで緑色になりました。
ご自宅での安置はエンバーミングのような腐敗が進まないような処置を行うか、搬送の方、葬儀社会社の方、納棺師が連携して最適な環境づくりをしていくことが必須です。
今回は、これ以上体の変化が進まないように、水疱の処置をし、防水のズボンを履かせ、新しい布団、着物に着替えてお棺の中にが移動しました。
棺に入ったあと、なんとなくお顔の感じが変わったというご遺族に、私は最後まで寄り添えたか、自信がありません。
そしてその日から4日後の告別式まで、私の頭にはいつもその遺族や故人の顔がチラつきます。
新人納棺師さんが悩やむ
「私じゃなければ、もっといいお別れが出来たかも...」問題。
技術的にもっといい方法が、あっただろうと落ち込むことは、納棺師をしている限りずっと続きます。
だけど、ご遺族、故人が教えてくれたことや落ち込んだり、悔しい気持ちを経験して、自分経験を増やしていくことが、どこかの誰かの為になると信じて欲しいと思います。
そしてそのことを、今一番自分に、言い聞かせています。
最後にこんな私が、この落ち込みをどう解消しているのかというと...。
同じ納棺師仲間を捕まえて、聞いて、聞いてと話しまくります。流石に新人納棺師さんの前ではちょっとカッコつけたいという厄介な感情もありますので、話す人も限られますが、私はこれで自分自身を保っています。聞いてくれる納棺師も優しくヨシヨシと聞いてくれます。それはきっと、どの納棺師も経験する感情だからかもしれません。
暑くなってくるこの時期は、私たちの仕事の大変さと大切さを同時に感じる季節です。