最後にありがとうと言えたなら ~亡くなった方が教えてくれたこと~

大切な方とのお別れの仕方をご遺体が教えてくれました

ありがとうは生きてるうちに。

昨日は生命保険会社で模擬納棺式を行いました。

 

納棺式で出来ることやどんな時間なのかをお話し、その後、お葬儀の中の納棺式という時間を模擬納棺式として体験していただきます。

この日、少しの間あの世に旅立つ会社の上司を
一緒に働く社員の皆さんが遺族として納棺式を体験します。

上司に向けた手紙には
愛がたくさん詰まっていました。
生きてるうちに
この愛情、思いの受け渡しをしたら、信頼関係が大変なことになるのでは。と

**お手紙を一部抜粋してご紹介**

 

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〜略〜
「真剣に生きなさい」、、、叱咤の嵐

 

その叱咤が、本当は激励だと理解するのに、不思議と時間はかかりませんでした。当時悩んでいた私が、やっとの思いで眠りについたにも関わらず、夢の中にまで出てくるあなたに惑わされ、布団から飛び起きた事も、一度や二度ではありません。

 

そんな、あなたがー、今、安らかに眠っています。

 

そしてこの先、あなたが、二度と目を覚まさないように、今後の予定についてお伝えします。

あなたが生きてきた証は、私を含めた、あなたと関わりのあった、私たちの「心」に宿ります。何気なく過ごす私たちの日常、様々なシチュエーションで、私たちは、あなたを感じることを余儀なくされる事でしょう。

 

ダカラドウカ!...ドォカ、、安心して、お眠りください。


本当に、今までありがとうございました。

 

そして、
これからも見守っていてください。
この星地球上に沢山いる、あなたのファンの
一人より

 

 

大切な人が亡くなった時、残された人は目の前からその人が突然いなくなって、まるで繋がりが切れてしまったように感じます。
納棺式は新しい繋がり、絆を作る時間です。

生きている時とは違うけど、亡くなった後に作る絆は切れることはありません。

生きてるうちに一度棺に入って、お互いの存在について生きてるうちに、こんな愛情たっぷりの手紙や言葉をもらえる模擬納棺式や生前納棺式。

この愛情、思いの受け渡しを生きているうちにするべき。

素敵な時間のお手伝いをさせて頂きました。

パパっぽい

最近メイクを1人で任されるようになった後輩納棺師が、あるお父さんのメイクをした時、開いていた口が閉じて、白い顔に血色が戻って穏やかな顔のお父さんをみた娘さんが

「わー、パパっぽい」って言ったそうです。

 

それを聞いたお母さんとお姉ちゃんからすぐに、「いや。パパだから」ってツッコミ入りました。

パパっぽいのではなくパパ本人だよって、それまでピンと張っていた空気が緩んだみたいに、みんなが笑いました。

 

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納棺式で時々出会う一場面です。

パパっぽいと言われた時の安堵感や嬉しさは、納棺師なら誰もが想像、共感できる気持ちです。


私達、納棺師が1番嬉しい言葉は

「綺麗になったね」ではなくて

「〇〇さんらしいお顔ね」です。

だから、パパっぽい、おじいちゃんっぽい

お母さんっぽい、〇〇ちゃんっぽい

って言葉がすごく嬉しいのです。

 


それにしてもパパっぽいって言葉は

確かに、ついツッコミたくなるけど、この言葉にご遺族の心情がすごく表れているような気がします。

 

亡くなってすぐのお顔は生前のパパの顔と合致してくれない。つまりパパじゃない人なんだと、どこかで否定していると思います。


ご遺族の心の中にいる亡くなった方と、今布団に寝ている人を同一人物だと感じるには、お布団で寝ている亡くなった方がその人らしいお顔であることが大切なんだと感じます。


現に開いている口を閉じて、顔色を整えて、赤みを足して、髪を生前の形に近づけていくなかで、ご遺族の物理的な距離が少しずつ近づいてくることがよくあるのです。

 

納棺式という儀式の中で、パパじゃない人からパパっぽい人に変わる瞬間です。

 

本当のパパなんだと落とし込むには、もう少し時間がかかるのかもしれません。それでも一歩前進だと思うのです。その人らしいお顔や、体に触れることの出来る時間にその一歩のお手伝いができるのが納棺師の特権です。

 

お葬儀という時間にその人らしい何かにまた、出会えたとしたら、ご遺族は亡くなったその人との死に向き合いお別れができるかもしれません。亡くなった人もきっとそんなお別れを望んでいるような気がします。

 

さて、私の家族は私らしさを何で感じてくれるでしょう。鼻の脇のホクロ?文句を言う時のへの字口?できたら優しく微笑んでいる顔がいいなぁ。

お正月も走る納棺師

2023年

お正月です。火葬場もお休み、葬儀もない元旦ですが、現場に向かう納棺師がいます。

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さすがにいつもよりは件数は少ないにせよ、年末から年始にかけて、日延する(火葬までの日数が長い)亡くなった方がいるということは、火葬までの状態変化を最小にするためにたくさんの納棺師が動いているってことなんです。

私も2年前までは現役納棺師として毎年お正月はいつ、連絡が来てもすぐ走れるように待機している状態でした。

 

『年末年始は仕事が忙しいから、家のことができない』

今まさにお仕事中の納棺師さん達には申し訳ないのですが、家事が苦手な私にとっていい口実だった。

 

2023年元旦の今日も、31日に作った煮物やお節のようなものを出してみたりしながら、実家の仙台で過ごしております。

ソワソワと申し訳ない気持ちが半分、家族で過ごすありがたい気持ちが半分。この気持ちはいつまで続くのでしょう。

 

2022年はブログからすっかり離れてしまい、どうやって文章を書いていたのか、わからないぐらい文章嫌いが復活しておりました。

というのも(宣言!また、言い訳します)昨年は人前で話す機会が急激に、増えて私自身なんだか空っぽになったような気がしていました。

 

それでも納棺師の卵さんたちと話したり、納棺師仲間と話していると、その想いに感動したり、自分の体験を思い出したり、また伝えたいと思うことが増えてきました。

 

2023年はまた、少しずつブログを書いていきたいと思ってます。今年もどうぞ宜しくお願いします。

亡くなった方からのご褒美

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「ご褒美」なんていい言葉。

私は自分によくご褒美をあげる

一つのプロジェクトをやり終えた!

育てた新人さんが無事社内試験に合格した!

子供が無事就職!

頑張ってブログを更新した!

頑張って家を掃除した!

だんだん頑張ったことがショボくなるのは置いといて・・・

これをやり終えたら沖縄旅行

頑張ったらエステに行こう

ハイボールと美味しい食べ物が待ってるぞ

と、この「ご褒美」はこれは無理かも・・・と思える壁さえも乗り越えてしまえるような絶大な効力を持っている

 

しかし、本当にうれしいのは神様からのご褒美。

例えば、仕事で頑張ったときに、自分を評価をしてくれる人が現れたり

今まで話をしたことない人との繋がりができたりする

これは神様からのご褒美

 

最近本を出しました。

これは文章を書くの賀苦手だった私が、ライティングゼミやブログで苦手克服?した努力の賜物。そして、たくさん手直しをして、この世に出してくれた新潮社の岡倉さんの努力の賜物なんだけど、この本を作っていく中で、予期せず私は、亡くなった父について何度も考えました。それは、そのたびに父がもういない寂しさや、私が父から受けた影響について何度も噛みしめるちょっと嫌な作業でした。

だけどそのお陰で、私は案外、父の落としていったパン屑をちゃんと拾いながら、私らしく生きてきたんだと気づくことができました。それはこれから先、ずっと父は私の横で歩き続けてくれることに気づけたことです。もうご褒美というか、宝物です。

この宝物は神様からというより、亡くなった父からのご褒美でした。

亡くなった方からのご褒美は、一生ものの宝物。

大切な人が亡くなったときに私たちの心や体にはいろんな反応がおこります。失った人の存在が大きければ大きいほど最初のうちは痛みを伴う反応です。多くの人は普段の生活をこなしていくために、蓋をしていることが多いのです。

その痛みと、いつ向き合うかは人それぞれの、タイミングがありますが、もし向き合わず、蓋をしていたとしても、その心の痛みは蓋をして抑えきれるものではありません。

私自身、長く蓋をして、生活をしてきましたが、時に身体に病気のような症状ととして現れたり、感情の面で突然落ち込んだり、涙があふれ振り回されることも多くありました。

私は、グリーフサポートという死別によって自分に起こった様々な反応を、学ぶ場所に出会えたおかげで、安心・安全な場所で自分の気持ちに向き合うことができました。

この悲しみに向き合う作業をしたとき、亡くなった方は私たちにたくさんのご褒美をくれます。

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若くしてご主人を亡くした奥様は、亡くなってからご自身の気持ちをどんな風に、整理していけばいいのか、ご主人への想いをどうにか表現しようとが頑張っていらっしゃいました。

多分それは大変な痛みを伴うことだと思うのです。

それでも彼女の周りにはそれを聞いてくれる、サポートグループやお友達がいます。

そんなお話を伺うたびに、ご主人が奥様に贈ったご褒美は「奥さんをサポートする人との出会い」のような気がします。

先日こんな話をお聞きしました。

5年前結婚式を挙げたホテル。結婚記念日ごとにこのホテルを利用したくてご主人が選んだ場所でした。

2年目からはコロナのこともあり、ご主人と行けたのは最初の結婚記念日の一度きりだった。でもね、と奥さんは嬉しそうに私に教えてくれました。
ずっとこのホテルに二人で行けなかったことが気になっていたから、一人で行ってきたんです。そしたら、ホテルの方が以前ご主人と泊まった部屋にグレードアップしてくれて結婚記念日を同じ部屋で過ごすことができたんです。

ご主人との思い出を振り返ろうとする奥様をサポートしてくれる人が現れる。その結果、亡くなった後にもこんな風にご主人との思い出を増やしていけるなんて、とても素敵なことだとおもいます。

もちろん奥様の素直な、かわいらしい雰囲気のせいかもしれません。しかしそれと同時に、頑張っている奥様へ、亡くなったご主人からのご褒美に見えるのです。

 

もし大切な人を失って、苦しい、辛い時間を過ごしている方がいたら、今はその気持ちを横に置いておく選択肢もあります。だけど思い出してほしいのです。

辛い気持ちにはちゃんと理由があってその理由を知ろうとするとき、亡くなった人からのご褒美が待っているということを。

 

繁忙期

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一月ももう、終わってしまうのですね。

この数ヶ月は新しいことに囲まれて時間の流れのスピードが「私のスピード」ではない中を浮いたらり沈んだりしながら進んでいました。

2021から2022年、私にとって11月に納棺師を卒業したことが1番の変化でした。最初は急に開放された気分でしたが、だんだんと寂しい、物足りない気持ちになりながら、それでも前に進んで行かなきゃいけないと踏ん張ってきました。

つい、自分のセルフケアを忘れてしまいがちな、1月ですが、ちょっと立ち止まって自分をゆっくりながめる時間も出てきて、あー、もう少し、私自身を大事にしてあげようと感じてます。

 

当たり前ですが、セルフケアは自分のことなので、ちゃんと見えていればどうにかする方法が見つけられるのですが、自分ではどうにもできないことも。

 

納棺師にとって、12月〜2月は忙しさのピーク。今年はオミクロンで濃厚接触者が急増てるなかで、人が足りていない状況だと聞いてます。

葬儀が縮小するなかで、せめて亡くなった方を綺麗にして送ってあげたいという方も多く、納棺式や納棺師の需要は依然と変わらないか、増加傾向にあります。

たくさんの納棺師が、このピークをどんな思いで乗り越えようとしているのか、外からでは応援しかできないのです。

今年の繁忙期は、納棺師にとって厳しい環境です。どうか、体や心に気を配りながらこの数ヶ月を過ごしてほしいです。

 

亡くなった後の夫婦喧嘩

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大切な方を失ったご遺族の頭の中は決していい想い出だけではない。嫌な想い出、辛い想い出の中で止まっている方もいます。それはおかしいことじゃない。

以前納棺式でご遺族のお手伝いをしていた時の話。

亡くなったのは70代の男性、喪主の奥様、娘さん二人と息子さんとそのお嫁さん。お孫さんが数人のお立ち合いでした。

都内にありながら、お庭の広い一戸建てで、議員さんをされていたという男性は枕花に囲まれておやすみになっています。

二部屋続きの和室は畳が替えられたばかりなのか、縁がピシッと光り、い草の香りがします。

お家はそれなりに歴史遠感じる古さがありますが、この部屋だけは特別な空間となっています。掛け布団も敷布団も分厚く、お布団に寝ている故人にとっては気持ちのよい状態ですが、膝を布団の上に乗せて亡くなった方の手当てをする納棺師にとってはこの段差は困りものです。スキージャンプの選手が今まさに、ジャンプ台を飛び出したような格好では腰が耐えられず、布団の下に足を潜らせてお手当をしていきます。

 

お布団の周りには今日着せるであろう三つ揃えの紺のスーツと白いワイシャツと赤いネクタイが広げてあります。枕の脇には手紙や写真が何枚も置かれていました。

ご病気で痩せてはいるものの、きっと良き夫であり、自慢のお父さんであり、威厳のあるおじいちゃんだったんだろうなと感じました。

 

納棺式が始まりスーツに着せ替えるとおじいちゃんカッコいい!の声があちこちから聞こえてきてきます。授業参観日に一度お父さんがきた時に、父兄の方達が子供ではなくお父さんを見ていた話や、剣道が強かった話。50代ぐらいの娘さん2人と息子さんが中心となり自慢のお父さんの話で盛り上がっています。

こうなると納棺師は一歩引いてご遺族にお任せです。改めてご遺族の様子見てみるとー。

思い出話に盛り上がるごきょうだい、それを聞いて笑っている孫達。いい光景です。

お嫁さんは静かに写真を眺めています。奥さんはと視線を移すと、、、あれ?全く笑ってません。みんなを見ているようで見ていない。なんか違和感があります。疲れているのかな?とも思いましたが、ちょっと違うようにも見えます。

 

最後のお蓋じ閉めの際に、ご遺族の輪の後ろにいる奥様に、何か気になることはないか確認しました。棺に入った後顔も見ていない奥様に、これから棺の蓋を閉めることも伝えました。

すると優しそうな品のいい奥様から、

「あの人はみんなが言うようないい人じゃない」と絞り出すような言葉が漏れ出ました。

棺の周りにいる家族には聞こえないような小さな声でしたが、かすれたその低い声に、私は心臓を掴まれたみたいにドキッとしました。どんな方だったのですか?と聞きましたがその後は一言も話されることはありませんでした。

 

 大切な人を亡くしたという共通の出来事に家族は別々の反応を見せます。

いつまでも悲しい人もいれば、想い出を振り返って笑顔の人もいるし、嫌な思いでの中で固まっている人もいます。

中にはその違いから心を閉ざしてお別れの時間を過ごす方もいらっしゃいます。

 

いいお父さん、いいおじいちゃんという家族の印象の中で奥様は口を閉ざしていました。

納棺式の中で奥様の本当の気持ちを聞くことはできませんでしたが、葬儀の担当者に引き継ぎをして帰りました。後で聞いたお話ではお葬儀が終わったあと、奥様の愚痴がすごかったと聞きました。

納棺師さんが言ってた「ずっと近くにいたからこそ他の方と違う側面を見ていたのかもしれない」って言葉そのまま奥さんにいったら、初めて泣いていたよ。

担当者さんがもし、いいご主人だったのですねとか言っていたら、奥さんはまた気持ちの蓋を閉めてしまっていたかもしれない。

今回は担当者さんと連携が取れて上手く?行きましたが、しばらくは納棺式で私がかけた「どんな方だったのですか?」と問いも奥さんにとっては責めてるように聞こえてたかもなあとか、あの時、奥さんに言われた一言を私はちゃんと受け止めていたかな?と自問自答しながら過ごしました。

 

身近な悲しんでる方の側にいるとき、つい自分が感じている印象を抱えて話をしてしまうことがありますよね。ご主人いい人だったよね。いつも綺麗な奥さんだったよね。

そんな言葉がご遺族を癒すと信じている。

でも本当にそうなのかな。

生きていれば夫婦喧嘩もできて、嫌なところも言い合える。亡くなってしまうと急にそれができなくなってしまうのです。亡くなった人の悪口は言えずに心の奥に閉めてしまうことが多いから。

 

私も時々旦那の愚痴を友達に話すこともある。その時は頭にきて、話もしたくないと思うだけど一緒にいるとまた、新しい日々が重なって私と旦那の想い出になっていく。もちろんまた、喧嘩をして、怒ったり泣いたりしてる時もあるけどその中には笑ってる私や喜んでる私もいるんだよね。

 

だから、

亡くなった方の文句や愚痴も言ってもいい。

そこで止まらず歩き始める為には亡くなった後の夫婦喧嘩も必要なのかもしれない。

ブログ再開 本の出版と地元

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いろんな方のお力をいただき、11月17日ブログが本となり発売されました。

ここ数日は有難いことに、本の感想が届いてます。私がどんなに感動感謝しているか伝えたいけど、どの言葉も足りない気がして結局

「ありがとうございますー」、、、足りないなぁ

 

ハイボールを飲みながら、感想を読んでは泣いている私を、家族は遠巻きに見て「また、泣いてるー苦笑」と呆れてます。

 

そんな中、地元仙台に帰ってきました。

24歳の時、転勤族の旦那とまだ小さな子ども達と仙台を離れて28年。

もう離れていた時期の方が長いので最近はお客さん気分で過ごしています。なので迎える側もお帰りーってよりは『よく、ござったねー(よく来たね)』って感じ。

 

でもずっと、いつか地元で何かしたいと思っていました。家族もそれぞれ独り立ちし、27年経ってようやく、その時期になったんだなって思います。

 

あらためて考えてみると、今まで私は自分の住む場所でハイヒールを履いて少し背伸びして、カッコ悪くないように頑張って歩いてきだなぁと思います。

まぁ、実際には、年齢とともにヒールの高さは徐々に低くなっていますが、、、。

それでも背伸びしたからこそ、見えた景色もありました!疲れた時や、つまずいた時に支えてくれる人もたくさんいて、、、ここでも、まだまだやりたいことがたくさんあります。

 

だけど、これからは、時々地元で裸足になって歩こうと思います。

もちろんこれは例えで、実際に裸足で歩いてたら寒くてしょうがないわけで、、、。それぐらい自分らしく大好きな地元を味わいながら、進んでいきたいなぁと感じだってことです。

寒さも少しづつ増している仙台。コロナ禍で久しぶりに帰って、温かい場所と温かい人達に包まれた数日間でした。

また来月帰るよ。その時はお帰りーって言ってくれるかな。