パパっぽい
最近メイクを1人で任されるようになった後輩納棺師が、あるお父さんのメイクをした時、開いていた口が閉じて、白い顔に血色が戻って穏やかな顔のお父さんをみた娘さんが
「わー、パパっぽい」って言ったそうです。
それを聞いたお母さんとお姉ちゃんからすぐに、「いや。パパだから」ってツッコミ入りました。
パパっぽいのではなくパパ本人だよって、それまでピンと張っていた空気が緩んだみたいに、みんなが笑いました。
納棺式で時々出会う一場面です。
パパっぽいと言われた時の安堵感や嬉しさは、納棺師なら誰もが想像、共感できる気持ちです。
私達、納棺師が1番嬉しい言葉は
「綺麗になったね」ではなくて
「〇〇さんらしいお顔ね」です。
だから、パパっぽい、おじいちゃんっぽい
お母さんっぽい、〇〇ちゃんっぽい
って言葉がすごく嬉しいのです。
それにしてもパパっぽいって言葉は
確かに、ついツッコミたくなるけど、この言葉にご遺族の心情がすごく表れているような気がします。
亡くなってすぐのお顔は生前のパパの顔と合致してくれない。つまりパパじゃない人なんだと、どこかで否定していると思います。
ご遺族の心の中にいる亡くなった方と、今布団に寝ている人を同一人物だと感じるには、お布団で寝ている亡くなった方がその人らしいお顔であることが大切なんだと感じます。
現に開いている口を閉じて、顔色を整えて、赤みを足して、髪を生前の形に近づけていくなかで、ご遺族の物理的な距離が少しずつ近づいてくることがよくあるのです。
納棺式という儀式の中で、パパじゃない人からパパっぽい人に変わる瞬間です。
本当のパパなんだと落とし込むには、もう少し時間がかかるのかもしれません。それでも一歩前進だと思うのです。その人らしいお顔や、体に触れることの出来る時間にその一歩のお手伝いができるのが納棺師の特権です。
お葬儀という時間にその人らしい何かにまた、出会えたとしたら、ご遺族は亡くなったその人との死に向き合いお別れができるかもしれません。亡くなった人もきっとそんなお別れを望んでいるような気がします。
さて、私の家族は私らしさを何で感じてくれるでしょう。鼻の脇のホクロ?文句を言う時のへの字口?できたら優しく微笑んでいる顔がいいなぁ。