普通の主婦のわたしがなぜ納棺士になったのか?
告白をすると、自分のことを普通の主婦というのはだいぶ語弊があると思っています。
私は妻として、母親としては「ポンコツ」です。四角い部屋を丸く掃除し、冷蔵庫の中で人参がミイラになっていたりします。
裁縫も料理も得意ではなく、子供たちは早いうちから料理やボタン付けは自分で出来るようになっていました。それは私が教えたわけでなく必要に駆られてそうなっただけ。
納棺士になる前、私は保険の営業の仕事をしていました。数字を上げることで評価されることや、会社の経営者の方々と直接話ができる事にやり甲斐や、楽しさを感じていました。
しかし、ある出来事で私は役に立つ仕事ってなんだろう。と悩んだ時期がありました、
ある日、保険の契約をいただいていた会社の社長さんが自殺をします。
加入していただいた保険は、ご自身の保険ではなく、社員に何かあった時の保障で、ご自分のことより、会社のこと、従業員のことを大切に考えていらっしゃる社長さんでした。
私のこともよく気にかけてくれていて、毎月の訪問日にはおいしいコーヒーを、豆から挽いて社長自身が丁寧に淹れてくれます。
保険の加入から1年ほどが経過したころ、普段はあまり電話など掛かってこない社長から電話がありました。
呂律がまわらず、何を話してるか分からず結局電話は切れてしまいました。
次の日会社にお邪魔すると、いつもは開いている会社の入り口が閉まっています。
その後、連絡も取れず社長が亡くなったと聞いたのは、電話をいただいてから1週間後でした。
私にできることは保険の契約者の名前を新たな代表者へと変更する手続きだけでした。
そして、同じころ父が亡くなり、
「死」というものを考えることが多くなりました。
「私はどんな風に死ぬんだろう」「後悔しない死ってなんだろう」
結局答えは見つからないまま、納棺士の仕事の募集を知ります。ここで働いたら答えが見つかも、と38歳の時に納棺会社の扉をたたきました。
私が最初に所属した納棺会社は埼玉にある大手の葬儀会社の納棺を専属で行っている会社でした。
小さなアパートの1階が職場でそこから納棺士生活が始まりました。働いている人は、みんな明るく仕事以外はいつも笑っていたような気がします。
まず、納棺師になって驚いたことは毎日たくさんの人が亡くなっていることです。
毎日一人の納棺士が1件~4件の納棺が私にとっての日常になりました。
初めのうちは
「このたびはご愁傷しゃまです」
「もすさま・・・も・喪主しゃまはいらっしゃいますか?」
と言いなれない言葉に悪戦苦闘し、鼻に綿を詰める処置もこわごわです。
納棺士になるには資格がなく先輩納棺士について技を盗むしかありません。
しかも、職人気質の方が多く「なぜその処置をするのか?」丁寧に教えてくれるわけでもありません。
そして、私が一番戸惑ったのは悲しんでる方になんと声をかけたらいいのか?何かしてあげたいけど何ができるのか?ということでした。
ご遺族とどんなふうにコミュニケーションをとったらいいか先輩納棺士に聞くと、空気を読むことが大切といわれました。
空気を読むとは?納棺士になってからはわからないことだらけで本を読み漁り、外部の講習会に参加しました。
納棺士の技術は学んでも、学んでもきりがありません。
私じゃない納棺士だったら、もっと最適な対応が出来たのでは?と眠れないほど悔しく、申し訳ない気持ちになったりもします。
失敗もたくさんありました。
亡くなったご主人が夢にも出てこないと聞いたとき、私は先輩が言っていたフレーズをそのまま言いました。
「思いが強いと夢に出てこないと聞いたことがあります」
そうすると、娘さんが
「私は夢に出てきたから思いが弱いってことか」
悲しそうにそういう娘さんにかける言葉は私の引き出しに入っていませんでした。
また、亡くなっても耳は聞こえていると聞いたことがあった私はそのまま遺族に伝えました。あるご遺族にとっては亡くなった方に自分の思いを伝えるきっかけになりました。
しかし、あるご遺族にとっては、声をかけることだけで納棺式が終わってしまいご遺族の選択肢を狭めてしまう結果になりました。
今思うと納棺士として働き始めたころは、ご遺族を励ます言葉、いい言葉をかけようと必死でした。
しかし本当の納棺士の役割はご遺族を励ますこと、元気にすることではないのです。
ご遺族を元気にすることが出来るのは、ご遺族自身だけです。
ご遺族がご自身で、故人とのつながりを感じるための手伝いをするのが、納棺士の仕事です。
皆さんの中にある故人のお顔に近ずける死化粧の技術、安心してお別れができる処置の技術、その人らしさを表す着せ替えの技術。
そして、ご遺族の希望を叶えるためのコミュニケーションのとり方。全てを学び続けていかなければなりません。
ゴールのの見えないこの仕事に時々、なんて仕事についてしまったのかしらと思うこともあります。
しかし、技術を学び続け、ご遺族へ係る覚悟ができたとき初めて、まるで映画のような素敵なお別れの場面に同席させて貰えるのです。
不器用な主婦は、不器用な納棺士なりに沢山悩み、迷走しながらも、たくさんの気づきに出会えてます。