最後にありがとうと言えたなら ~亡くなった方が教えてくれたこと~

大切な方とのお別れの仕方をご遺体が教えてくれました

音の記憶

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先日、自宅で子供達が小さい頃の映像を整理していると亡くなった父の映像が出てきました。

 

今では25歳、24歳の息子達が、映像のなかでは、まだ、4歳、3歳ぐらい。父の膝の上で夕ご飯を食べて笑ってます。

こんな映像が、あったのかと懐かしい気持ちになりましたが、子供達と話す父親の声を聞いた時、本当に突然に涙が「わっ」と溢れてきました。

 

亡くなってからもう10年経つのに父の声を聞いただけで、こんなに心が揺れて涙がでることに驚きました。

 

その時気付いたのですが、私はそれまで父の声を忘れていたんです。

 

父の顔や手は、今でも直ぐに思い出せるのに、不思議です。

 

もしかしたら、耳からの情報「音」の記憶は、留めておくのが難しいのかもしれません。

 

以前、お会いした娘さんは、携帯に残していた「亡くなったお母様の声」を聞きて納棺式を過ごされました。

 

お立ち会いされる遺族は娘さんだけでした。

そこで、挨拶をした際に納棺式というお時間にしたい事があれば、教えてくださいとお伝えしました。

少し考えた後に、娘さんは

 

「母の声を聞いてもらってもいいですか?」

とおっしゃっいました。

 

携帯から流れるお母さんの声は、老人ホームで撮られたもので、繰り返し「大きなカブ」の絵本を読んでいます。

 

娘さんは納棺式で着せ替えやお化粧などにはあまり興味がなく、私に携帯のお母さんの声を聞かせて

 

「可愛い声でしょう」と連呼します。

 

「よく読んでいた本なんですか?」

 

とお聞きすると、娘さんはこの本どころか一度も、お母さんに本を読んでもらった記憶がないそうです。

 

小学校の先生をされていた、亡くなったお母さん。父親のいない環境で、いつも忙しく働かれていました。

 

子供の頃は、母とずっと一緒にいる学校の生徒さんが、羨ましかったのよと、娘さんは笑いながら話していらっしゃいました。

 

よっこらしょ、どっこいしょという、お母さんの絵本を読む優しい声が、繰り返しながれています。

 

柩にお体をご移動する前のひと時、お化粧を終えたお母さんをじっと見つめている娘さん。

 

2人をみていると、まるで娘さんが絵本を読んでもらいながら、ゆっくりと、お母さんに甘えているようにも見えます。

 

携帯に残していた声はきっと薄れることのない宝物に違いありません。

 

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時々、大切な方を失った遺族から不思議な話を聞くことがあります。

 

それは、亡くなった方が、音を使って何かを伝えにきたという話です。

 

それも、聞いたのは一度ではありません。

 

ある時は

亡くなった方が、以前飼っていたオカメインコの鳥カゴ(今は空っぽ)の鈴が何度も鳴ったのをご兄弟みなさんが、聞いたと話されていました。

 

また、以前伺ったお子さんの納棺式では、音のなる絵本が突然鳴った事もあります。

 

寝ていた時に、以前飼っていた猫の鳴き声が耳元で聞こえた気がして起きたら、訃報を知らせる電話がなったと話されていたご遺族もいらっしゃいました。

 

そんな時、皆さんはとても嬉しそうに話をされます。

 

「最後の挨拶にきたんだ!」

 

「まだ、側にいるんだね」

 

と涙を流されることもあります。

 

声や音が引き金になり、私達の心が揺れて、時には涙が出てくることがあります。

 

もし、死んだ方が私達との繋がる手段を持っていて、それが音という形だとしたら、亡くなった方からのメッセージに心が揺れて涙が出るのは当たり前のことなのかもしれません。

 

 

心に留めておくのが難しい音の記憶。

 

私達は沢山の音に埋れて生活をしています。

2人の子供達が話す声、飼い猫のゴロゴロ甘えてくる音、旦那のうるさいイビキ、母の小さな愚痴話…。

毎日通り過ぎていく大切な音に私は気付いていないかもしれない。

 

今あなたの周りにある、心に留めておきたい音はなんですか?

 

最後のお出かけに着ていく服は?

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映画「おくりびと」で本木さんが納棺師という職業にスポットライトを当ててくれたのは、もう、10年以上も前の話。


綺麗な所作で着物を着せる姿を見て、全ての納棺師がご遺族の前で着せ替えが出来るかというと、実はそうではありません。
大抵の納棺師は2名で1人が体を支え協力しながら着せ替えを行います。ご希望がない場合はご遺族が立ち会わない準備の時間に行う事がほとんどです。
 
数少ない、見せる着せ替えを行う納棺会社に私が席を置いているのは、ご遺族との着せ替えに私自身こだわりを持っているからです。
 
ご遺族の多くは不安を抱えています。初めてお会いする家族に、は心を開いて貰うためには、なるべく多くの時間を一緒に過ごし、この人なら大丈夫と思って頂く必要があります。

 

そのためには故人と遺族が離れている時間を、最小限にし、皆さんに見ていただきながら、もしくは手伝って頂きながら過ごしてもらいたいのです。
 
美しい所作に見える着せ替えには、実はあちこちに優しく見えるような工夫が仕掛けられています。
 
あんなに大切に扱って貰えたら母も喜んでくれると思います。そんな言葉をかけて頂くとなんだか、嬉しくなります。
 
 
私たち納棺師は、葬儀会社やご遺族の依頼がある際に、お着せ替えを行います。
浴衣や、既に着替えている洋服のままでいいと考えている方もいらっしゃいますので、着せ替えするか、しないかは、自由に選択することが出来ます。
 
1番多い着せ替えは、白い「経帷子」と言う着物に着せ替えをし、旅支度を付けます。足元から足袋。脛には脚絆。手には手甲数珠をつけ、首から六文銭が入った、ずだ袋をかけます。


これまでに、何度かご自身で縫われた白装束と旅支度を、ご用意されいた方もいらっしゃいました。

 

武田信玄は戦いに向かう覚悟を表す為に、三途の川の渡賃と言われる六文銭の家紋を掲げ戦場に向かったと言われていますが、どんな思いでご自身の死装束を作ったのか、戦国武将の凛とした潔さを感じます。
 
最近は白装束にこだわらず、好きなもの、印象に残っている物を着せる方も増えてきました。
 
納棺師としてご遺族のサポートをしていると、着ている物は、その人のアイデンティティであると感じる事があります。

 

着ていた物がお父さんらしさ、お母さんらしさおじいちゃん、おばあちゃんらしさを表す、大切な要素なのです。
 

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皆さんはハワイの民族衣装のムームーをご存知ですか?ゆったりとしたワンピースで健康ランド?などで着る華やかなお着物です。


亡くなったのは68歳の女性。喪主の娘さんはハワイ在住で、大きな花柄の赤いムームーをご持参されました。

お着せ替えを終え、棺の中にご移動すると、娘さんが亡くなったお母さんの首へ、生花のレイをかけました。

花の香りが棺いっぱいにひろがります。

 

お写真には同じ姿でハワイの海と夕日の中で娘さんと幸せそうに微笑む故人が写っていました。その幸せの時間を切り取ったように棺に寝ている故人は、先程までのパジャマ姿とは別人のようです。

 


 
最近は、亡くなった方に様々な着物を着せるようになったぶん、私達を悩ませるものは体型の変化です。


70代女性の納棺式では、ダンスをしていたお母さんに着てもらおうと喪主の息子さんが持ってきたのは、素敵な赤と紫の衣装。

 

話を伺うと20年前ものでパッと見ただけで入らないことはわかりました。それでも息子さんはお母さんに白装束を着せたくないという要望もあり「おりゃー」って感じでお着せしました。

 

後ろのチャックは開いているものの、布団から見える胸元は、華やかです。

 

「これであの世で会って怒られることはないな」と息子さんが笑いながら棺の中のお母さんに話かけました。
 
逆に病気でお痩せになる方もいらっしゃいます。

恰幅のいいお父さんに当時着ていたダブルのスーツを着せると、こんなに痩せてしまったんだねと、ショックを受けられる方もいらっしゃいます。

お腹の凹みを隠すために、綿をお腹の上に置きワイシャツ、ズボンをはかせますがスーツがとてもおおきく感じます。

それでもネクタイをしめてる姿が皆さんの中にあるお父さんなのです。
 
その人らしい服でお別れをする。
そして、ご生前の姿を思い出しながら皆さんで大切な方のお話しをしてほしい。
 
亡くなった方もきっとそう思っているに違いないと思うのです。
 

新人納棺士さんに学ぶこと

納棺士になって10年が過ぎ研修や教育する側となり、なんだか偉そうなことを言ったりしてます。

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納棺士になるには、資格があるの?

 

と聞かれたりしますが、資格などはなく先輩納棺士について覚えていく職人のような世界です。

 

とは言え、最近は大学を出て納棺士になる人も増えてきました。以前の様に「見て習え!」が通用する訳はなく、社内の研修制度も充実してきていると感じてます。

 

例えば、ご遺体の変化や処置を学ぶ「遺体衛生」や葬儀にはつきものの「宗教学」や「マナー」など知識も詰め込みます。

 

しかし、やはり社内研修よりも実際の納棺式に先輩と行き、学ぶ方が数倍身につく事があります。

 

先日も新人納棺士と一緒に70代の女性の納棺式に伺いました。

棺に亡くなった方をご移動した際に、今まで気丈にされていた50代の喪主様が声を洩らして泣いていらっしゃいました。

少しそのままお時間を取っていると、横から鼻をすする音がしてふと、そちらを見ると新人納棺士が一緒に泣いています。まだ20歳になったばかりの彼女。必死に涙を堪えてますが、完全に泣いてます。

部屋から出ても大丈夫だよと小声で伝えると

すいません。と言って席を外しました。

 

その後5分も経たず戻ってきて必死にご遺族の話を聞き、思い出の品物をどこに入れるか悩みながらご遺族と入れていきます。

 

最後にご遺族は私と新人納棺士に、いろいろありがとうございました。とお礼を言って下さいました。

 

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新人納棺士が現場で学ぶ事は沢山あって、この仕事を辞めたとしても、必ず人間として成長できると思います。

一つ一つ学ぼう、ご遺族をサポートしようと必死です。

 

そして、偉そうなことを言っているベテランと呼ばれる納棺士も新人から学ぶ事が沢山あると気づくのです。

 

1人の納棺士が一年間にお手伝いする故人様は約500人。

 

ご遺族1人1人にとって一度きりの大切な時間であると同時に、私達納棺士にとって、日常になる事が一番怖い事だと思います。

 

出来たと思ったら、それ以上は出来なくなる。

 

新人納棺士に負けないようにがんばります。

 

お化け屋敷と納棺士

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私は人に感謝されることに慣れていません。


お気づきかもしれませんが、私の妻や母親としての能力はかなり低くめです。忙しくなると部屋が汚れてくるし、夕ご飯のおかずも大量に盛られた、野菜炒め1品なんてこともざらにあります。子供や夫からのありがとうより、私がごめんねと言うことばかりです。
 
納棺師になりたての私はとても調子に乗っていました。


それは自分がしたことに対して「ありがとう」といわれる経験が極端に少ない主婦が急に「ありがとう」といわれる仕事と出会ってしまったからです。
 
私は自分が遺族の救世主になれるかもしれないなどという馬鹿な妄想に憑りつかれていました。
 
青白くなった顔に赤みを足し、薄くお化粧するとご家族が
「ありがとう、まるで眠ってるみたい」と涙を浮かべます。
それは、遺族自身が、自分の力で元気な頃の大切な人の姿を見つけ出した結果です。
 
しかし、わかっていない私はまるで自分が解決してあげた! というとんでもない誤解をしたまま突っ走っていきます。
 
そしてすぐに壁にぶち当たる・・・。
 
15歳の女の子の死化粧をしていた時です。ご希望されたピンク色の口紅を塗り始めると、今まで穏やかにお話していたお母様が「全然変わってしまった! なんて事をするの!」と怒り始めました。一度怒り出したお母様の怒りは収まりませんでした。綺麗にお化粧したのに……。うろたえている私を見かねて、先輩が対応にあたってくれました。
先輩は一度化粧を落とすと静かに話を聴きながら、私よりずっと薄いお化粧でお母さんを喜ばせました。しかも「さっきの人にもお礼をいいたい」とまで言わせたのです。
 
亡くなったお嬢さんは、自分の顔が、とても嫌いで最近は濃いお化粧ばかりしていたようです。結局、どんどん自分の事が嫌いになったお嬢さんは自ら命をたってしまいました。
 
化粧をしたお嬢さんの顔をみて、お母様は「自分の大切な娘の大好きな素顔を隠したくない」と思いました。そしてお化粧した娘さんの顔を見たとき、もう一度娘が手の届かない場所に行ってしまうような不安を感じたようです。
 
その体験をきっかけに私は急にご遺族と接するのが怖くなりました。

 
悲しんでいる人はいろんな感情が沸き上がってきます。悲しんでいる人と接することが怖いと思った。
 
誰でも悲しんでいる人を見るのは辛いと思うのです。


だから、おばあちゃんの納棺式に小学生の孫を参加させてたくない、子供を死から遠ざけたいという人もいます。
ずっと泣いている遺族に「そんなに泣いたら亡くなった人が悲しむよ」なんて言葉をかけるの人もいます。


納棺式で泣かなきゃ遺族はこれから泣ける機会を失ってしてしまうかもしれないのに...。
 
それは孫のためでもなく、遺族のためでもなく自分が悲しんでいる人をみたくないからなのかもしれません。
 
壁にぶち当たり、それでも毎日仕事は続きます。
 
もちろん悲しい納棺式だけではありません。遺族がワイワイいろんな話をし、笑って送ることも多いです。


 
どんな納棺式であっても、納棺師は1時間という時間で初対面の遺族に、安心できる存在だと認識してもらわなければなりません。
 
失敗すれば遺族はすぐに心のシャッターおろしてしまいます。一度おろされたシャッターはなかなか戻ることはありません。そうなると遺族は自分の感情をだそう、大切な人の死に向き合おうなんて思えなくなります。
 
大切な人を失った「悲しみ」という感情は「怖い」という感情に似ていると思う事があります。


これからどうなってしまうのか?

自分がこの悲しみという感情に支配されてしまうのではないかという怖さ。

真っ暗な暗闇で先がみえない怖さが、悲しみの成分なのかもしれません。
 
遺族はお化け屋敷のような真っ暗な通路を、これから何が飛び出してくるのか分からず、何の灯りも持たず歩いています。早くここから出たい。きっとそんなな状態です。

 

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今年のゴールデンウィークに友達数人で富士急ハイランドにいける事になり、話の流れでお化け屋敷にみんなで入ることになりました。
 
私はお化け屋敷は嫌いなので滅多なことでは入らないのですが、どんな場所か分かれば怖さも半減するかと思い私はネットで調べることにしました。
どうやらこのお化け屋敷は「廃病院」が舞台になっているらしく、驚かすのも人なので怖さのバリエーションも多そうです。
しかも一本のペンライトを持たされ、途中でそれを奪われてしまうらしい。なんて怖い事を思いつく人がいるのでしょう!
私は結局このネットの記事を読んで「怖気づいて」しまい結局、一人外で荷物番をすることにしました。
 
納棺師という仕事柄、お化けやゾンビのメイクを見ても怖くはありません。
偽物に目を覆ったりはしません。私が怖いのはお化けではなく何が飛び出してくるかわからない怖さと暗闇です。
そんな暗闇の中、ヒーローが登場して大きな声で「安心してください! 出口はあちらです!」なんで急に耳元で叫ぶ。
もし、自分がこんなことされたら脅かしてくるお化けと同じ「敵」です。全力で逃げるか、ぶん殴るかどちらかです。
 
きっと納棺師駆け出しの私はこんな感じだったと思うのです。
 
お化け屋敷で怖がっている人に声をかけるのは難しいと思います
 
私は考えます。
お化け屋敷で一番の安心する瞬間はいつ?
それは出口の光を見つけた時にこの暗闇から出る事ができる。この怖さから解放される。そんな瞬間かもしれません。
 
その灯りはそんなに近くではないけれど、しっかり明るく光っている。
そんな光になれたら私も、大切な人を亡くした遺族にシャッターを閉められることもなくなるのかもしれません。
 
お化け屋敷での正しい声のかけ方は、。まずは急に近づかない。
声を出さず出口の明かりのようにそこで待つ。
そして向こうから近づいてきたところで静かに話す。
 
これができたら、遺族の悲しみにも寄り添えるのかもしれません。
 
いろんな経験をして、自分なりに勉強もしました。以前よりは少し出口の明かりに近づけてるような気もします。少なくてもご遺族の耳元で「ヒーロー参上!」と叫ぶ事はなくなりました。

女医と語らう

とある休日。

池袋芸術劇場のおしゃれな喫茶店で、待ち合わせの相手を待っています。

 

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彼女と初めて会ったのは、1年前のサムライナイトというイベントでした。この異業種交流会で初めて私は女医という肩書きの名刺を頂きました。セクシー内科医の上原暢子さんがやっているワークショップ

 

「一回死んでみるWS」

https://ameblo.jp/nobuko1025/entry-12452256919.html

 

振り切ってる!

見取りをしてきた、死を間近に見てきた彼女にしかできないセミナー。

しかも、全国各地で一回死んでみたい人が集まっているらしいから驚いてしまう。

 

でもね。

 

会うとわかる。

 

彼女の発する言葉には全て共通の芯がある

 

あなたの命は誰の為にあるの?

誰の為に生きているの?

 

家族にも、亡くなっていく本人にも後悔して欲しくない。

 

ブレないから。迷わない。動き続ける。だから彼女の話はいろんな人を惹きつけます。

 

努力してブレない軸を作った彼女を見てると、まだまだ足りないと、自分のぐらつく足元を見てしまう。

 

私は納棺士という仕事を通じて、亡くなった後の家族との物語に心を動かされる。

 

でも、それは物語から見えるその方の生き方に感動しているんだと思う。

そして、死に関わる私は、もっと死という終わりまで、亡くなる人やその家族がどんな時間を過ごしているのかを、知るべきです。

 

12月1日私も一回死んでみる事にした。

穏やかなの顔を目指して

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誰もが大切な人の死は安らかであってほしいと願います。
 
私の父は癌でなくなりましたが、病院で過ごした最後の数時間、人の死が静かであることに驚きました。呼吸が少しずつ、深くゆっりとなり、体に付けられた計器の音だけが病室に響いています。
 
決して苦しんでいなかった父の顔さえ、黄疸で顔色が変わり、抗がん剤の影響で痩せて髪や眉毛もなくなっていました。その顔は体を動かすことが好きだった元気な頃の父の顔とはかけ離れていました。
もう苦しくないんだね、そう思うのが精一杯でした。
 
葬儀までの数日間に、徐々に私の頭の中には「なんで〇〇しなかったんだろう」という言葉が溢れてきました。
何でもっと会いに来なかったんだろう。
何でもっと話しをしなかったんだろう。
何でもっと孫に会わせてあげなかったんだろう…。
 
葬儀の日程が決まり、納棺士さんが自宅で化粧をしてくれました。私が初めて会った納棺士さんです。
 
黄疸を隠す為の父の化粧は、生前の父とはかけ離れてまるで舞台俳優の様でした。しかし、澄ました顔で微笑んでいる父の顔や、着せ替えや旅支度をしていると、ほんの少し私の中の罪悪感が、小さくなりました。
そして私は、納棺士さんが丁寧に父の着せ替えをして、化粧をしてくれたことに感謝していました。
 
父の火葬が終わり、私の前から父の体は消え、頭の中でしか父に会えなくなりました。
 
父の顔を思い出すとき、優しい笑顔と一緒に、最後に見たお化粧した父の顔も一緒に思い出します。そして父はお化粧した顔で旅立ちたかったのかと何度も自分に問うのです。
 
この経験から納棺士になった今もお化粧に関してはできるだけ「その人らしさ」を目指したいと強く思っています。
 
納棺式でご遺族のお手伝いをしていると、私と同じような経験をしているかたが多くいることに驚きました。
以前、身近な人を亡くしその人のお化粧の印象が「その人らしくない」ため、死化粧に対してあるいは、納棺士に対して不信感を持っているのです。
特に男性の化粧は、普段お化粧しない分とても難しいと思います
自然なお化粧を心掛けていても傷を隠したい、顔色が全体的に変わっているなどの場合、まずは隠して、その後その人らしさの再形成をする必要があるからです。
 
時には隠さない、化粧しないを選択されるご遺族もいらっしゃいます。
私たち納棺士は故人にとって遺族にとって何ができるのかを常に考えています。
しかし、最終的な答えを持っているのはご遺族だということを忘れてはいけないと考えます。
 

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自死により命を絶った60代の男性。お顔は、鬱血により赤くなり、遺影の写真とは別人でした。


予め、奥さまと娘さんと打ち合わせをし、お化粧で顔色を整えたい旨をお伝えしました。男性に化粧をすることに奥様は抵抗があるようでしたが、もし、普段のお顔とかけ離れていたら、お化粧落としましょうと提案し、開いていた口を閉じ、少しずつ肌色へと近づけます。
 
ヒントとなるのは写真と、ご家族との会話です。
 
最近は、持病の病状が悪く入退院を、繰り返していましたが、以前はゴルフが好きで庭に作った練習場で、よく打ちっぱなしをしていたそうです。お写真のご主人もポロシャツに日焼けをしたお顔で笑っています。
少しずつ色を重ね、日焼けをしたような肌色に近づけ、最後にファンデーションの下に隠れたそばかすを書き直すと、
「あー、お父さんだ」と奥様が不思議そうに声を上げました。


「昨日まで、違う人の様な気がしていたのよ」

奥様は長く息をはきながら、誰に話しているのか、目線が合わないまま話しを続けます。

 

「だから、死んだのは違う人と思おうとしたのよ、だってその方が悲しくないでしょ」

 

「でも、やっぱりお父さんだった」
 
最後の言葉は独り言のようにポツンと言うと、30代の娘さんを呼びます。
打ち合わせの際、娘さんは、父じゃないと言って、見ることさえも拒絶してました。
娘さんは、しぶしぶ父親の顔を見て、
「こんないい顔してたら文句も言えない。」
そのあとは、話すことも無く悔しそうな、悲しそうな顔でお母さんと2人でいつまでも棺の中のお顔を眺めていました。
 
お二人は、故人との距離が近づくことで死という現実を受け入れなくてはならない、辛い時間となったかも知れません。
しかし、納棺式という時間にしかできない必要なことだと遺族自身が私に教えてくれます。
 
人生の締めくくりでもある、棺の中の最後のお顔は、どんなお顔であってもきっとご遺族の心の中に刻まれます。


お顔はその方がどんな風に生きてきたのかを示す、その人らしさがあります。


優しいお顔、厳格そうなお顔、にこやかなお顔、シワ、シミ、時には傷までにも個々の物語があります。
その顔を私達納棺士が化粧で消してしまわないように、数少ないヒントを模索していかなくてはならないのです。
 
最後に故人に近づき、会話を交わしてもらえるために。思い出す顔がその人らしく穏やかでありますように。
 
穏やかな顔で逝けたら幸せだなぁ
私も棺の中に眠る時、子供達や夫に笑ってお別れをしたいなぁと思うのです。

人は死ぬとどこに行くのうでしょう?

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天国?空の上?それとも「無」なのでしょうか?

 

納棺式というお別れの場で、遺族は亡くなった方にまるで生きている人に話しかけるように言葉をかけます。当たり前の話ですが、棺に入る人はもう生きてはいない人です。

 

しかし、大切な人を失った遺族の中では、生きていないはずの故人が納棺式という短い時間の中で何度も生と死の間を行ったり来たりします。

 

私は納棺士としてたくさんのお見送りのお手伝いをしてきました

 

納棺式という時間の中で、遺族は故人との生きていた頃の思い出のかけらをみつけ、その人とのつながりを感じ、今はもう生きていないその人の生きていた意味を探そうとします。

                                                                      

畳屋さんのお父さんの納棺式では突然亡くなったお父さんに家族はなかなか近づけませんでした。お着せ替えをしようと身体を拭いていると、指が黒く家族が長年たくさんの畳を作ってきた固く黒い指に反応します。

 

「ほんとに真っ黒な手」

「何度も手が荒れるから軍手を付けたらといったのに・・・」

「この指はお兄ちゃんの指と似ているよね」

「冷たいけどお父さんの手だね」

代わる代わるその指に触れようと家族が近づいてきます

そして、まるで生きているように触れて話かけるのです

 

ご遺族の話す故人は生きていたり、亡くなっていたりします。

そうして、少しずつ死という受入れがたい事実に、折り合いをつけているように感じます。 

 

今、多くの方は「死」という出来事を遠ざけてきた為に、大切な人とのお別れの仕方を知りません。 

 

人生の節目のお別れの場面には必ずセレモニーがあります。

 

卒業式では一緒に過ごした友達や先生との別れを惜しんで、寄せ書きや連絡先の交換、写真もいっぱいとりました。好きな人のボタンをもらったり(最近はしないのかな・・・?)式の中では送辞や答辞を言い合い、卒業証書を受け取りました。

 

そうやって私たちは次の世界へのスタートラインに立つための心の整理をしてきました。

 

結婚式もある意味、お別れの儀式であるといえるかもしれません。両親や兄弟、ともだちにこれからこの人と新しい家族を作っていくための宣言です。

親友が結婚するとなんとなくさみしい気持ちになるのは、別世界へ旅立つ友達とのお別れの儀式だからかもしれません。

 

なぜお葬儀だけが簡略化されているのでしょう? 

 葬儀をしなくていいという人に話を聞くと

 

「残されたひとに迷惑をかけたくない」

 

「葬儀にお金をかけたくない」という声を、よく聞きます 

 

この2つの思いと「お別れの時間をもつ」ことは別物ではないかと思うのです。

大切な人がいなくなったとき心の整理をするお別れのセレモニーは簡略できないものです。

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ある納棺式に伺ったとき、枕元にアルバムが飾ってありました

 

亡くなった方のメモリアルコーナーに、亡くなった方の写真が飾ってあることはよくあります。

 

しかし枕元に飾ってあるアルバムには亡くなった方ではなく喪主の息子さんの写真ばかりです。 

 

アルバムにはたくさんの息子さんの写真とメッセージが添えられています。

どうやら亡くなったお母さんが作ったようです。

 

「すごい!お母さんの思いが詰まったアルバムですね」

つい出てしまった私の言葉に

 

母はいつもビックリすることを思いつくんです。と笑いながら息子さんが、お母さんにもらった「課題」のことを話してくれました。

 

癌で亡くなった50歳のお母さんは、20代の息子に自分が亡くなった時、別れた息子さんの父親に自分の死を知らせることを課題として残しました。

 

息子の成長を知らない父親に、このアルバムを届けて、と話していたそうです。

「すごい母親でしょ」最後の言葉は泣き笑いのような表情でした。

 

本当にすごいお母さんです。きっとこの課題をクリアすることが、息子さんの心の整理に必要だと感じていたのかもしれません。

自分が病気と闘いながら、亡くなった後に残される人のことまで私は考えられるだろうか?

 

 亡くなった人はどこに行くのか?天国なのか?他の場所なのか?それとも「無」なのかは、死にかかわる仕事をしてても答えはわかりそうにありません。

 

しかし、霊能力のまったくない私でも、納棺式という時間の中で遺族のお見送りのお手伝いをしていると亡くなった人の存在を確かに感じるのです。

 

私は父が大好きでしたが、結婚して地元から離れると、なかなか会いに行くことが出来ませんでした。

だから父が亡くなった時、以前より父が傍にいるような気がして、少し不思議でした。

 

私が死んでからのことはよくわかない。けれど、私を思ってくれる人がいるうちは、その人の中で私はきっとあり続けでいるのだと思います。

 

人は死んだらどこに行くのか。

 

それを考えるとき私の中でこんな映像が浮かびます。

一つの命が、花火のようにパッと散ってたくさんの欠片になり、自分を思ってくれる人の中に飛び込んでいく。

 

初めのうちは、その欠片のせいでズキズキ痛むけど、時間とともにその人の中に溶けて一部になっていく。

 

多くの死とお別れを見ていると、そんなことを考えます。