天国?空の上?それとも「無」なのでしょうか?
納棺式というお別れの場で、遺族は亡くなった方にまるで生きている人に話しかけるように言葉をかけます。当たり前の話ですが、棺に入る人はもう生きてはいない人です。
しかし、大切な人を失った遺族の中では、生きていないはずの故人が納棺式という短い時間の中で何度も生と死の間を行ったり来たりします。
私は納棺士としてたくさんのお見送りのお手伝いをしてきました
納棺式という時間の中で、遺族は故人との生きていた頃の思い出のかけらをみつけ、その人とのつながりを感じ、今はもう生きていないその人の生きていた意味を探そうとします。
畳屋さんのお父さんの納棺式では突然亡くなったお父さんに家族はなかなか近づけませんでした。お着せ替えをしようと身体を拭いていると、指が黒く家族が長年たくさんの畳を作ってきた固く黒い指に反応します。
「ほんとに真っ黒な手」
「何度も手が荒れるから軍手を付けたらといったのに・・・」
「この指はお兄ちゃんの指と似ているよね」
「冷たいけどお父さんの手だね」
代わる代わるその指に触れようと家族が近づいてきます
そして、まるで生きているように触れて話かけるのです
ご遺族の話す故人は生きていたり、亡くなっていたりします。
そうして、少しずつ死という受入れがたい事実に、折り合いをつけているように感じます。
今、多くの方は「死」という出来事を遠ざけてきた為に、大切な人とのお別れの仕方を知りません。
人生の節目のお別れの場面には必ずセレモニーがあります。
卒業式では一緒に過ごした友達や先生との別れを惜しんで、寄せ書きや連絡先の交換、写真もいっぱいとりました。好きな人のボタンをもらったり(最近はしないのかな・・・?)式の中では送辞や答辞を言い合い、卒業証書を受け取りました。
そうやって私たちは次の世界へのスタートラインに立つための心の整理をしてきました。
結婚式もある意味、お別れの儀式であるといえるかもしれません。両親や兄弟、ともだちにこれからこの人と新しい家族を作っていくための宣言です。
親友が結婚するとなんとなくさみしい気持ちになるのは、別世界へ旅立つ友達とのお別れの儀式だからかもしれません。
なぜお葬儀だけが簡略化されているのでしょう?
葬儀をしなくていいという人に話を聞くと
「残されたひとに迷惑をかけたくない」
「葬儀にお金をかけたくない」という声を、よく聞きます
この2つの思いと「お別れの時間をもつ」ことは別物ではないかと思うのです。
大切な人がいなくなったとき心の整理をするお別れのセレモニーは簡略できないものです。
ある納棺式に伺ったとき、枕元にアルバムが飾ってありました
亡くなった方のメモリアルコーナーに、亡くなった方の写真が飾ってあることはよくあります。
しかし枕元に飾ってあるアルバムには亡くなった方ではなく喪主の息子さんの写真ばかりです。
アルバムにはたくさんの息子さんの写真とメッセージが添えられています。
どうやら亡くなったお母さんが作ったようです。
「すごい!お母さんの思いが詰まったアルバムですね」
つい出てしまった私の言葉に
母はいつもビックリすることを思いつくんです。と笑いながら息子さんが、お母さんにもらった「課題」のことを話してくれました。
癌で亡くなった50歳のお母さんは、20代の息子に自分が亡くなった時、別れた息子さんの父親に自分の死を知らせることを課題として残しました。
息子の成長を知らない父親に、このアルバムを届けて、と話していたそうです。
「すごい母親でしょ」最後の言葉は泣き笑いのような表情でした。
本当にすごいお母さんです。きっとこの課題をクリアすることが、息子さんの心の整理に必要だと感じていたのかもしれません。
自分が病気と闘いながら、亡くなった後に残される人のことまで私は考えられるだろうか?
亡くなった人はどこに行くのか?天国なのか?他の場所なのか?それとも「無」なのかは、死にかかわる仕事をしてても答えはわかりそうにありません。
しかし、霊能力のまったくない私でも、納棺式という時間の中で遺族のお見送りのお手伝いをしていると亡くなった人の存在を確かに感じるのです。
私は父が大好きでしたが、結婚して地元から離れると、なかなか会いに行くことが出来ませんでした。
だから父が亡くなった時、以前より父が傍にいるような気がして、少し不思議でした。
私が死んでからのことはよくわかない。けれど、私を思ってくれる人がいるうちは、その人の中で私はきっとあり続けでいるのだと思います。
人は死んだらどこに行くのか。
それを考えるとき私の中でこんな映像が浮かびます。
一つの命が、花火のようにパッと散ってたくさんの欠片になり、自分を思ってくれる人の中に飛び込んでいく。
初めのうちは、その欠片のせいでズキズキ痛むけど、時間とともにその人の中に溶けて一部になっていく。
多くの死とお別れを見ていると、そんなことを考えます。