お母さんの匂い
お母さんの匂い
まだ小さな子供がいらっしゃるお母さんの納棺式はいつも緊張します。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
伺う前からつい、そんなことを想像して、悲しい気持ちになってしまうこともあります。
だけど、私は何人もの、立派なお母さんやお父さん達のお別れの場面を見てきました。
そんな時、私の浅はかな想像が間違っていると何度も気づかされます。
40代のお母さんの納棺式はご自宅の大きなリビングで行いました。
アーモンド色のフローリングと白い壁と大きな2面の窓から見える緑が眩しいお部屋での、納棺式です。
部屋の中央にベッドが置かれ、亡くなったお母さんが寝ています。お母さんの横には、小学校低学年の弟さんと高学年のお姉さんがちょこんと座っているのが見えました。
葬儀の担当者とバタバタと、廊下に置かれている荷物の片付けているお父さんにご挨拶をして、亡くなったお母さんが眠るベットへ向かいます。
はじめまして、今日はよろしくお願いします。
お子さん達はベットの上からぴょんとおりると、人懐っこく微笑みながら私の挨拶に答えてくれます。
部屋に入って来た時の子供達がベットの上でとてもリラックスした様子でゲームをしていたので私は少し『邪魔をしてしまった』気持ちになりました。
お母さんのお化粧と着せ替えをするからお手伝いしてくれる?
少し恥ずかしそうに、お母さんの妹さんである叔母さんの背中に小走りで周り込み、ニコッと笑いながら頷きます。
大きな窓から5月の光が優しく注がれる中、ベッドの横に立ち、納棺式の準備を行います。
ベットの近くに来ると、目の前の大きな窓から家のすぐ横の公園の木々や、道路を通る人達の様子や、真っ青な空が目の前に飛び込んで来ます。
闘病期間も、きっとお母さんはこの窓から少しずつ変わっていく景色を見ていたんだろうな。
ベッドの傍らにちょこんと座るお子さん達と一緒に。
お母さんの痩せた体に触れ、手当が必要なところがないか確認し、布で隠しながら口や鼻を綺麗に拭きます。
「ご闘病は長かったのですか?」
故人の妹さんにお聞きします。
どのくらい痩せたのか、お顔色の変化はあるのか?どんな方だったのか。私の知らない故人のことをお聞きするための最初の質問です。
2年間の闘病生活があり、最後の半年は自宅で過ごされた故人。最後の夜も子供達、妹さんとたくさんの話を交わされたそうです。
そっか、お母さんと過ごした時間の中で、小学生の娘さん、息子さんはお母さんの死を少しづつ理解していったのか…。凄いお母さんです。
見えないように手元を隠し、口の中を消毒した後、少量の綿を痩せた頬に添わせるように入れ不自然にならないように整えます。
準備をしていると、子供達が時々お母さんのところに来ては、鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ、離れて行きます。
何だろ??
見た目はいつもと変わらなくても亡くなってしまうと口や鼻などから匂いが発生してしまいます。私はこういった匂いがお別れの時間の邪魔をしないように、匂いがないことを一番にお体の手当てを行っていました。
しっかりと手当をしたけど、、、と心配になり、「何かいつもと違う?」と聞くと
『お母さんの匂いがない』
思いがけない返事に驚きながらも
「お母さんの匂いってどんな匂い?」と聞くと、すぐに
「お化粧の匂い!」という返事。
じゃあ一緒にお化粧しよう。と提案すると子供たちがニコニコしながら顔を見合わせました。急に立ち上がると走って廊下につながる扉の向こうに消えていきました。1分もしないうちに滑り込むように戻って来ました。
お姉ちゃんが説明をしてくれます。
これがお気に入りのファンデーションと口紅。
これが大切なチーク。いつも朝はこのチークをつけるの。つける順番はねえ…。
もう、話が止まりません。私も嬉しくなってうん、うんと話を聞きます。
朝起きるとベットの上でお化粧をするお母さん、もしかすると顔色が悪くなっていたことを隠すためだったのかもしれません。
もう我慢できないという感じで、弟さんも教えてくれます。
この、ヘアーオイルは海外のもので、すごく高いんだよ。ココナツの匂いがするんだ。いい匂いでしょ。
そう言って慣れたようにオイルを手にとってお母さんの髪を撫でるようにつけていきます。
そして髪の毛に顔を近づけてなんども大きく息を吸います。
お母さんの匂いだー
子供達があまりに楽しそうにお母さんのお世話をするので、亡くなったお母さんの妹さんもそばにきて、笑いながら子供たちと一緒にお化粧や髪の毛を整えます。
お化粧が、一段落するとお話しは、窓から見える景色の話にもなりました。学校に行く時はお母さんがベットから降りて手を振ってくれたこと。
公園の木は今は緑だけど、桜が咲いたり、どんぐりがなったり、その度に桜の花びらやどんぐりの実をお母さんに届けたこと。
亡くなったお母さんは子供達とのたくさんの会話や普段の生活の中で、いろんなものを残しました。
あなたはすごい方ですね!
徐々に部屋中がお母さんの匂いで満たされていきます。
それまで電話や葬儀の準備で忙しくすることで無意識にお別れを避けていたお父さんも、奥さんのそばに近づてお顔を見ます。
「はは、お母さんだね」
お父さんの目からは今にも涙が溢れそうでした。
棺へご移動する前に少し席を外し、ご遺族だけで過ごす時間を取りました。
いつものようにベッドに腰掛け、窓からの景色をみながら最後の時間を過ごす事が今日のご遺族には、必要な気がしました。
子供達が長い時間、必死にお母さんの髪の毛に顔を埋めて、匂いを嗅いでいるのをみると、清潔にすることだけが私たちの仕事じゃないなと思うのです。
窓から差し込む光の中で、ベッドの上に寝ているお母さんの顔を抱きしめるように、子供たちが座っています。
お父さんもベッドの子供たちの手に触れながら外を見ている。
廊下から見たその様子は、窓枠に縁取られた1枚の大きな絵のようで、いつまでもそこに飾っておきたいと願ってしまいます。
納棺師はご遺族が安心して大切な方との最後の時間を過ごしてもらえるように、様々な処置の方法を学んでいます。しかし、そこには必ずご遺族の思いも吹き込まないと納棺師の自己満足になってしまうこともあります。
私達の仕事はご遺族の想いに気づき、その想いを形にすることです。そして少しでもそれが叶った時、私はこんな尊い時間に同席することが出来るのだと感じます。
ご家族にとって留めておけない時間だからこそ、私はこの時間に何が出来るのか、答えを探し続けます。
残念ながら、納棺式の短い時間では答えが見つからないこともたくさんあります。ご遺族自身も深い悲しみの中、たくさんのことに戸惑い、迷われているから。
だからこそ、例え答えが見つからなくても、ご遺族と一緒に悩み考える伴走者になれたらと思います。
亡くなった方は教えてくれます。
自分と重ねて、
『もっと子供の成長を見たかっただろうに』
『子供達はお母さんがいなくなってこれからどうするんだろう』
という、私の想像がとても浅はかだということを。
お母さんは、今を一生懸命に生きてました。
その生き抜いた姿は、死をも含めて、これから先ずっと大きなものを、子供達に渡し続けると感じるのです。
帰り道、公園の駐車場へ向かう途中にご自宅を見上げると、子供たちが手を振っています。
子供達が、窓からの景色やお母さんの匂いと共にこれから何度も思い出せる、最後の時間になっていたらと願いながら手を振り返えしました 。
言葉に残すこと
いつも、思うことがあります。
納棺式で、ご遺族の言葉が亡くなった方に届いているのだろうか。
私はたまたま、納棺師という職業でご遺族のお別れの場に立たせていただいてます。ご遺族の言葉に涙が出てくる事もあります。
でもその言葉は私や周りに聞かせたいものではないはずです。
聞いて欲しい人は一人だけ。
亡くなった大切な人です。
以前、出張先で亡くなった60代の男性の納棺式に行きました。
小学校の低学年のお孫さんが、まるで赤ちゃん返りをしたように、お母さんにべったりとくっついています。何か言いたそうに、ぐずっていて、周りの家族がちゃんとしなさいと注意をしていました。
おじいちゃんが棺の中にはいると、とうとうお孫さんは泣き出してしまいます。何度か問いかけると、出かける前におじいちゃんとケンカをしたことを打ち明けました。
話し始めると、棺に入ったおじいちゃんに、いつまでもごめんなさい、ごめんなさいと蓋を閉められないほど大きな声で泣いていました。
おばあちゃんはお孫さんに向かって、「あんたのこと大好きだったじいちゃんが怒ってるわけないでしょう」とお孫さんの肩を揺らしながら
諭すように話しています。
そんな状況でも私は時間を気にしなければなりません。
『この後悲しみを共有し合った遺族が支え合うに決まってる』そう自分に言い聞かせて、棺の蓋は開けたまま、私は胸を締め付けるような気持ちでお孫さんの鳴き声だけが聞こえる部屋を後にしました。
ご遺族は棺の中の故人へ声をかけます
しかしその声に返事は返ってきません。
もしお孫さんがあんなに泣いて謝っているその声が、亡くなったおじいちゃんに届いていれば、おじいちゃんは
『そんなこと気にしてないよ、大好きなんだからね。それを忘れないで』って頭を撫でてくれるような気がします。
だけど実際は、その声をきくことはありいません。
と、思っていると、棺の中で奥様の言葉に答えた故人に遭遇しました。
その方の納棺式は、奥さまが亡くなったお父さんと結婚してよかった、しあわせだったと終始、故人への「ありがとう」の言葉が溢れる時間でした。
もし、お父さんの声がきけたならきっと照れ臭そうに「俺もだよ」って言うだろうなあと思いながら思い出の品物に囲まれた棺の中のお父さんを再度見ました。
俳句が好きだったお父さんの枕元にはたくさんの俳句が書かれたノートや色紙が並んでいます。
そこには日常のありふれた時間を切り取ったような言葉が並んでいます。そして、その言葉にはたくさんの愛情と感謝が詰まっています。
奥様の干した布団に、手足を伸ばす気持ちよさを描いた俳句
暖かくなってきた庭に猫が日向ぼっこする姿を奥様と見たことを描いた俳句
まるで幸せでしたと話しかける奥様へ優しく答えているようです。
「私も幸せだったよ」と。
奥さんへの感謝の気持ちが溢れている素敵な俳句ですね。と伝えると
「本当に私は幸せ者」と息子さん達と笑います。
よく、亡くなってからも、音は聞こえるということを聞きます。
だけど、どんな言葉をかけてもらっても返事をすることは難しい。
俳句や手紙など言葉を残すことも大切だけど、もっと手っ取り早く普段から伝えることが大切なんだと思います。
私は出来ていないのだけれど…。
身近な人ほど、なかなか言えてない「ありがとう」や「ごめんね」
言わずに嫌な気持ちになると、あの奥様の優しい表情を思い出します。
心は当たり前に反応する
ごく親しい人だけで行う納棺式。
時には遺族同士で、もめることもあります。 小学校高学年の息子さんが交通事故で亡くなった時、お母さんは納棺式の間ずっとベッドの上の息子さんに覆いかぶさり泣いていました。
そのお母さんのお母さん、つまり息子さんにとってはおばあちゃんにあたる方はずっと娘さんを攻撃していました。
お前がちゃんと見てないから、こんなことになるんだ!なんで一人であんな時間に外に行かせたのか!とずっと責めています。
私も息子がいるので耳を塞ぎたくなるような、悲しい納棺式でした。
なるべくおばあちゃんを息子さんの身支度に集中してもらい、お母さんに向いてる攻撃を晒してあげることしかできませんでした。
息子さん、お孫さんという大切な存在を突然失ったお二人。起こった出来事は同じですが、出来事に対してのお2人の反応は全くちがいます。
私は普段から、自分の周りで起こる出来事に対して敏感です。もう嫌になるくらいに、すぐ反応してしまいます。
例えば、怒ってる人のそばにいると心がザワザワします。子供が朝探し物していると自分もイライラしたり。部屋が汚いと考え事がまとまらなくてモヤモヤしたり‥‥。
このザワザワ、イライラ、モヤモヤという心が反応している時は心がおちつきません。
納棺式でご遺族を見ていると、この反応している心を、ちゃんと「見る」作業ってとても大事だなって思います。
お孫さんを亡くして、母親である自分の娘を責め立てたおばあさんは、最後にお孫さんの靴下を履かせる際に足を何度も何度も摩ってました。
その仕草を見ていると、ずっと息子さんから離れられないお母さんも含め、お2人ともほんとに大切に思ってたんだと伝わります。言葉を選びながら、その事を伝えると、おばあさんは可愛いかった小さな頃の話や最近は生意気になことを言うようにと話をはじめました。
その後、要約落ち着いたおばあさんは母親に声を荒げることはなくなりました。
本当のところはおばあさん本人しかわからないのですが‥‥。
もしかしたら、自分が怒りという反応をした理由が愛情からだと知ったのかもしれません。
80代の母親の納棺式で、60代の息子さんが母に
優しい言葉をかけてあげれなかったと話していたいました。
しかし、その方は在宅で看取りをされ、お母さんの面倒を見てたんだというのは、お部屋をみればわかります。部屋は綺麗に掃除が行き届き、お母さんに着せたい洋服も何着か用意をされてました。
息子さんお一人の納棺式。会話をしてるとお母さんへの愛情が伝わってきます。
優しい言葉をかけてあげれなかったという後悔も心の反応です。
会話の中で息子さんは、後悔はずっと側にいるから出てくる愛情と同じ大きさの感情なのかもしれないと少し笑って話していらっしゃいました。
悲しい出来事に人は様々な反応します。
その反応を確かめて正体を知ると、ご遺族はその反応に振り回されることなく自分や大切な方とのお別れに向き合います。
そこで、最近私が編み出した技があります。
イライラ、モヤモヤ、ザワザワが起こった時、何に反応しているのかをちょっと考えるようになりました。
旦那がイライラしている。
わたしもイライラして言葉がきつくなる。
ちょっと待て、わたし。
私は旦那の態度にイライラしてる、休みは心穏やかに過ごしたい。でもこのイライラは私のイライラじゃないし、旦那とも仲良くしたいと思ってるんだ。
よし、私の心の反応に対して理解したぞ。
旦那に、お茶でも出してあげよう。
はい、旦那。少しお茶でものんだら。
いらん(💢)
はー!?何?その態度💢💢
ダメだ。起こった出来事と自分の心に向き合うのは難しい。
こんな時は、私の心に寄り添ってくれる納棺式での納棺士さんのような人が必要です。
心は勝手に当たり前に反応するものなのです。
どんな顔で逝きますか?
亡くなった時、棺の窓から見える顔は穏やかでありたい。
もう、自分は亡くなってしまっているから、どうでもいいと思う人もいるかもしれません。
だけど残された人にとっては、身近な方の死顔は穏やかであってほしいと願うものです。
ご遺族と話をしていると、以前見送った方の死顔を後悔している人は案外多いのです。
別人のように痩せてしまった。
口が開いていて苦しそうに見えた。
お化粧した顔が別人のようだった。
それはその後の人生を変えるような出来事になることさえあります。
最近は少なくなってきましたが、以前は鼻や口から綿が出ていて口元も大きく開いている人も沢山いました。おじいちゃんでも、おばあちゃんでもピンク色の頬紅、口紅が塗られていることも。
高齢で亡くなった方のほとんどは口が開いた状態です。納棺士としてご遺族のもとに伺うと、一番多い要望が「口を閉じてほしい」という要望です。
口元の印象は人の感情を表現するところだなと感じることがあります。しかし、口元を整える技術の難しさを感じることもあります。
人は亡くなると筋肉が硬く硬直してきます。
しかし、時間の経過とともに硬直が解けてきます。また、高齢の方は元々の筋肉量も少なくなり硬直が感じられないこともあります。
顔も表情筋などの筋肉でできている為、硬直が解けると口が開き、重力に従って平面化していくのです。
亡くなったかたは上向にお布団で寝てますので、お顔のシワが無くなった様に見えるという嬉しい作用もあります。しかし、その反面表情が変わった様に見える問題もあります。
表情がどう変わって見えることがあるのか?
一例を挙げると、口元が閉じている状態である場合、重力によって口角が引っ張られたように大きく見えることがあります。
死化粧では口元が広がって見えないように、口角ギリギリまで口紅を描かかず少し内側にラインを取ります。
そしてこの口角も、上がれば微笑んでいるように見えますし、下がってしまえば、悲しげに見えたり怒っているように見えてしまうのです。
それほど、繊細な亡くなった方のお顔。
そのお顔が穏やかだとご遺族は、故人に近づきお別れの時間を安心して過ごしています。
処置やお化粧前は、言葉少ないご遺族が穏やかなお顔に対面すると、いろんな思い出話を始めたり、要望が次々に出てくることはよくあります。
だからこそ、なんとかご遺族の頭の中にある故人に近づいけたい。
しかし、時には納棺式を終えて、がっかり肩を落として帰る時もあります。
もっと何かできたのでは…。自分自身が納得出来ないこともあります。これは、経験年数に関わらず、どの納棺師も経験していることです。
だからこそ学ぶ事がなくならない、大変で、最高の仕事なんだと思うのです。
棺からのぞくその顔がどんな顔でありたいか。
それは、送る遺族と納棺師次第なのかも知れません。
ヒポクラテスの誓い
私が外部講師として携わったている納棺師の学校「おくりびとアカデミー 」の卒業試験が近づいてきました。
今回はコロナ禍の影響で1ヶ月遅れてのスタートになりましたが、その分、努力し学んだ生徒達が、いよいよ卒業です。
毎年のことなのに、今年もまた、生徒達の成長に感動し、巣立っていく寂しさも感じています。これって馴れないものなのかなぁ。
授業では、様々な先生から納棺師として必要な着せ替えや死化粧の知識。葬儀知識や亡くなった方の体の変化や、感染症対策。ご遺族に寄り添うためのグリーフサポートなど、たくさんのことを学びます。
卒業後は納棺師になる人もいれば、葬儀会社や自分のいた職場で学んだことを生かす人もいます。自分の身近な方が亡くなった時の為に勉強する方もいます。みんなが誰かの「おくりびと」になるため必死です。
しかし、学校でどんなに学んでも、その道のプロフェッショナルになるのは、実はまだまだずーっと先で、実際に経験を積んでかなくてはならないのです。
では、おくりびとアカデミーで学んだ生徒は何を得ることができたのでしょうか。
欧米では医師を目指す学生は「ヒポクラテスの誓い」を暗記するそうです。
ヒポクラテスは古代ギリシャの「医の倫理」の礎を築いた偉人です。
この宣言の内容は、自分に医学の知識を与えた人への感謝を忘れてはいけないことや、弟子が出来た時に自分の知識を惜しまなく伝えることが書かれた「師弟の誓い」やプライバシー保護や患者第一などの現在の医学倫理の根本となることが書かれています。
看護師さん達が戴帽式の時にろうそくの光に包まれながら、ナイチンゲール誓詞により誓いをたてる姿は本当に尊い姿ですが、この誓いもヒポクラテスの誓いをベースにしています。
元々professional(プロフェショナル)とは宗教に入る際の誓いを指すprofessからきているそうです。
聖職者や医師や法律家など、古代ギリシアにもいたであろうプロフェッショナルと呼ばれる人達。
誓いをたてることで、自分の仕事の存在する意味を理解し、規律を守りながら仕事にあたっていたのでしょう。
おくりびとアカデミーで学んできた生徒達も、きっとそうであると私は感じます。
誰かのお別れのために、学校に入りたくさんの知識や、正しい倫理感を学んでいく中で、生徒達は何度も心の中で宣言をしてきました。
「ご遺族が安心してお別れの時間を過ごして貰うために、頑張って覚えよう!」
「ご遺族のもつ正解に近づける為に、もっといいやり方があるかもしれない!」
そして自分の中に理想のおくりびとを描き目指してきました。
自分の仕事の意味を考えることもせずに、自称プロフェッショナルを掲げているひとはたくさんいます。
全ての仕事が、誰かの為の仕事です。
例えば飲食店の接客の仕事は、食べに来てくれるお客さんが、気持ちよく過ごしてしてもらう為に必要なお仕事です。私がお世話になっているAmazonの配達員さんは欲しいと思った商品を自宅まで丁寧迅速に届けてくれる為に働いてます。
町工場で作られている小さなネジの1つだって作ってくれる人がいるから、多くの人の生活を支える1部として世の中に出でいくのです。みんなが誰かの為に働いているのです。
そして年数を重ねて行くと誰でも、その道の専門家になることができます。
しかし、自分が誰かの為に働いていることを理解し正しい知識を学び、技術を磨き続けることを誓ったプロフェッショナルはどのくらいいるのでしょうか?
おくりびとアカデミーの卒業した生徒は
これからも、誰かの為に、おくりびとの精神と技術を磨き続けることができるプロフェッショナルの卵達です。
この半年間に学び感じたことずっと忘れないで欲しい。
そして、私自身そんな生徒達に携われたことを心から感謝しています。
生前葬のススメ
久しぶりの投稿です
https://www.twellv.co.jp/program/variety/seizensou/
先日朝のニュースで『生前葬TV-又吉直樹の生前葬のすゝめ』(BS12)が、第10回衛星放送協会オリジナル番組アワードの番組部門<バラエティ>において最優秀賞を受賞したと伝えていました。
今年の3月に放送された番組で、今後再放送等あるかは分かりませんが、又吉さんが間寛平さんの生前葬をプロデュースしていく番組だったようです(見てないので詳しくは分からず)
自分の葬儀について
私がもし死んだら、葬儀はたくさんの人を呼んで、「皆さんのおかげで楽しい人生になりました!ありがとう!」と伝えたいと思っています。
家族にもそんな話を、笑いながらするのですが、息子や旦那はちゃんと私の夢を叶えてくれるのかなと時々考えます。
私の好きな服とか、化粧は「どこ」と「どこ」のシミを隠して欲しいとか分かってるかなぁ、、、多分絶対分かってないなぁ。
髪をかなり短く切っても、内緒で買った服を着ていても全く気づかない人達。今は気楽でよくても、私が死んでしまったら自分の思うように出来ないなんてちょっと嫌。
葬儀の意味
普段から納棺式でご遺族に接していると、娘さんからお母さんがどんなお化粧していて、どんな服をよく着ていたかの的確な指示を貰うことがよくあります。さすが、女の子はよく見ています。
こういうご遺族がいると、納棺師にとっては大変助かります。
息子さんや旦那さんが、本当に細かく指示してくれることもありますが、多くの方はどんなお化粧だったか思い出せず「お任せします」となります。
うちも家族は男性ばかり。すごく理解出来るし、決して悪い訳ではありません。しかし、ご遺族の中にいる亡くなった方の姿が、納棺師にはなかなか見えなくて、苦労することもあります。
私はどんな風に亡くなるのか?
人は生き方は選べるけど死に方は選べません。
つまりどんな顔で亡くなるかは神様任せ。
死んでるんだから、そんなことどうでもいいと思うかもしれませんが、何人もの死顔を見てきた私は、自分の思うような死顔で旅立ちたいと願ってしまう。
結局、葬儀をあげるって亡くなった方がどう生きてきたかを振り返って、葬儀に来てくれる方と、亡くなった方とのご縁を結びかえる儀式なんだと思います。
その為にも、私を思い出して貰えるようなお顔で、別れしたいなぁと思うのです。
我が家の家族も、私の外見にはあまり興味がないようですが、もちろん私を大切にして思ってくれています。.
もし、生きてるうちに自分の思うような葬儀が出来たら、今よりもっとお互いの存在の大切さにちゃんと気づけるし、残りの人生で何をするのかが、はっきり見えてくるような気がします。
あー、ド派手な生前葬あげたい。
梅雨のお別れ
今年は雨が少ないなぁと思ってましたがここ2、3日は梅雨らしい空模様が続いています。
休みの日の雨は、家の中で過ごすにはなんの問題もなく、シトシト降る雨を眺めて
「こんな日に働いている人がいるんだよね」と小さな罪悪感と優越感に浸り休みを満喫しています。
仕事でご遺族のもとに伺うときは、もちろん雨は大敵です。
なぜなら、納棺士は荷物が多い。
まず、メイクバッグ。
この中には沢山の化粧品や筆、ピンセットなどの処置道具、ドライヤーやブラシ、くし、スプレーなどの整髪道具、お顔剃り用のシェイビングクリームや剃刀など、これがないと仕事ができない!と言ってもいいほど大切な仕事道具が詰まってます。
サブバックには様々なる用途がある綿花(脱脂綿)が入っており、お顔周りを飾ったり、処置をしたり、お顔や体を拭くときに使ったりします。この綿花を10組折り畳んだものを入れています。他にもオムツや防水シートや折りたためる洗面器とお湯の入った小さなポットなんかが入っている。時には亡くなった方に着せる仏衣(着物)を入れることもあります。
これでメイクバックを持つ左手とサブバックを担ぐ左手方が塞がりました。
ドライアイスの依頼があると右肩に10キロのドライアイスが入ったケースをかけることになるのですが、フラフラ重い荷物を持って歩く姿はあまりかっこよくはありません。
そんな訳で荷物が多い納棺士の移動手段は車です。
車があれば式場や駐車場のある自宅での仕事はあまり問題はありません。
しかし、都内のご自宅などでは家の前には車が止められず、荷物を持って移動することも、しばしばあります。
さぁ、そこに雨です。
雨が降れば傘を持つ手が必要となります。
どうにか空いている右手で傘をさしますが、全ての手が塞がり、チャイムを鳴らしたりドアを開けるのにまた、一苦労です。
なので、小雨ならつい、傘はささずに行こう!と小走りで荷物を抱えて自宅にお邪魔したまでは良かったけど、納棺式を終えて帰る頃に急な土砂降りになり、ビショビショの状態で車に辿り着く羽目になったりします。
唯一の救いは10キロのドライアイスの入っていたケースが空になっていることだけです。
そんな訳で、大学を卒業し入ってきた、か細い女性も、納棺士として認定を受ける一年後には結構、たくましくなっています。特に二の腕は力こぶが浮き出るほどにたくましくなるのです。
つまり、一人前の納棺士になるということは重い荷物を持てるように逞しくなることです(笑)そして経験を積むことで荷物だけでなくご遺族も支えられる程にしっかりと頼りがいのある納棺士に変貌しています。
雨の休日。
働いてる仲間を想像して、心の中で頑張ってと心配しながらも、休みでよかったーと思ってしまうは仕方がないことだと思うのです。