最後にありがとうと言えたなら ~亡くなった方が教えてくれたこと~

大切な方とのお別れの仕方をご遺体が教えてくれました

結婚式と納棺式

葬儀業界にも繁忙期がありまして、11月後半から2月ぐらいまでは、とてもバタバタしております。

そんな中、体調崩して気がつけばもう、12月です。

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令和最初の11月22日のいい夫婦の日に、沢山の芸能人が結婚した後に書いたブログを今頃ようやく投稿です^^;

 

 

結婚式と納棺式どちらも人生という節目となるセレモニー。

 

私が結婚式を挙げた25年前。結婚式は有名ホテルでお色直しは2回、3回が当たり前。100名の招待客も決して多くはありませんでした。

私も、仙台駅前のホテルで100名近い招待客とお色直しを1回しました。

ホテルのプランには、ゴンドラから降りてくるとかドライアイスの煙の中から新郎新婦が登場するとかもあったのですが、流石にそちらはお断りしました。

 

今考えると、ゴンドラ不採用は賢明な選択であったと思うのですが、招待客、装飾、お色直しなど、あそこまで豪華にする必要はあったかなあ?と思います。お金をかけた結婚式が満足度に繋がるとは限らないのです。

 

今の結婚式はどうなっているのか、「派手婚」「地味婚」だけでなく、婚姻届を提出するだけの「ナシ婚」。

沖縄やハワイなどのリゾート地で写真だけ撮影する「フォト婚」、独自ノウハウでスマートな費用で挙式を挙げる「スマート婚」、そして形にこだわらず2人らしい結婚式を挙げる「ありのまま婚」など、スタイルは実に多様化しているようです。

 

これって葬儀に似てるなとおもいます

最近の葬儀も家族葬など小規模なものが増えて、中には「直葬」など葬儀を行わず火葬だけなんてことも少なくない。これからは自分らしくお別れをしたい「ありのまま葬」が増えてくるのかもしれない。終活がブームになっているのも、自分らしい葬儀、お別れをしたいという想いが根本にはあると思うのです。

 

しかし、結婚式とお葬式の違いは式を挙げるのは本人ではないというところなんですね。

 

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自分の事なら遠慮なくこうしたい!こんな式にしたいって言えるのに、亡くなった後のお葬式に関しては、迷惑かけるから葬儀はしなくても、、、なんて言ってしまうんです。

 

納棺式をしていると、本人の強い希望があったから、この洋服を着せてあげたい、これを棺に入れてあげたい、とご遺族から話を聴くことがあります。

好きだった食べ物を入れり、カラオケの歌詞カード、コーヒー豆、様々な表彰状、写真や手紙…。

 

納棺士として遺族のお別れの手伝いをしていると、したいことがある遺族は幸せだと感じます。そして、こんなちょっとした「最後の宿題」を家族に残せる故人も素敵だなぁと思います。

 

葬儀の中の納棺式という時間は、親しい人とのお別れの時間です。

どんなにしっかり看取った人でさえ、後悔をしている人が沢山います。

もっと優しい言葉をかければよかった。

最後に〇〇に連れて行きたかった。

あの選択は間違いだったのでは?

あの時こうしてたらもう少し長く一緒に入れたかも…。

 

もし、亡くなった大切な方のために、出来ることがあったら、最後のお別れは遺族の癒しの時間になります。

 

今年もお正月は、離れて暮らす息子達が帰ってきます。私もこんな時に、笑って話す何気ない会話の中にこっそり「最後の宿題」をいれてみよう。

 

 

最後の会話


深い悲しみから逃げたくなる時
死別を体験したご遺族の悲しみは、はかり知れないものがあります。

 

悲しんでる人の側にいるって大変です。

しかし、私たち納棺士は「納棺式」というお別れの場でご遺族のお手伝いをする仕事です。

側にいる覚悟を持たなくてはならない。

 

、、、とは思っていても

 

胸が痛み逃げてしまいたくなるほどの悲しみに触れることもあります。

 
もうだいぶ前の話ですが、お子さんを亡くされたご遺族の話です。
 
ご自宅におうかがいした時はクリスマスの時期でお部屋の中には小さなクリスマスツリーが飾ってありました。
 
整理整頓されたお部屋には子供の写真がたくさん飾ってあり、亡くなったお子さんの妹さんが、リビングのテーブルでジグソーパズルをしています。
 
大切な子供を亡くされたお母さんは、納棺式でまるで私の声が聞こえてないようでした。
お父さんがテキパキと対応するなか、お母さんは息子さんのお気に入りの、アニメのキャラクターのぬいぐるみを、抱えたまま、動きません。
 
亡くなったのは7歳の男の子。パジャマ姿で寝ている姿は同じ年齢の子供よりも小さく見えます。今にも寝息をたてそうな可愛らし寝顔でお布団に寝ています。
 
お着せ替えと顔色に赤みを足し皆さんにかおを拭いてもらう間も、お母さんは無反応、無表情でした。
 
お父さんに手伝ってもらい、お棺の中の布団に、お子さんを寝かせると、涙を堪えきれなくなったようで、お父さんは席を外しました。
 
自宅のマンションでの納棺でしたが、外の世界とは遮断されたように本当に静かでした。
まだ、幼稚園に行き始めたばかりぐらいの妹さんも、何かを感じているように静かに遊んでます。
 
小さなお棺の中にいるお子さんを見ながらお母さんが唐突に話をはじめました。
 
男の子は、生まれつき心臓に病気があり手術や入退院を何度も繰り返していました。
 
お子さんが亡くなる数日前にお母さんに言った言葉は
 
「ママごめんね」でした。
 
それまでどんな辛い時も、泣きたいのは母親の自分ではなく、病気と闘っている子どもの方。
そう思って泣くこともなかったお母さんも、子供を抱きしめて初めて声をだして泣いたとおっしゃってました。
 
納棺式ではお子さんの冷たい手を両手で包みながら、7歳の子供にそんな言葉を言わせてしまった。と肩を落とされている姿が忘れられません。
 
お子さんもお母さんもすごく頑張ったんだ、そう感じたのに、そんな言葉で、そんな軽い言葉をかけたくなかった。
 
どんなに探してもら私の中にはふさわしい言葉が見つからなくて、結局側にいることしか出来ませんでした。

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最後の会話
最後の会話は残された人にとって忘れられない言葉になると思う。
 
納棺式で話を伺っていると、時々こんな風に最後の会話を教えていただけることがあります。
 
80代の男性は亡くなる前夜に、ずっと介護をしていた娘さんに
「浅草で食べた蕎麦は美味かったなぁ」ってしみじみ話したそうです。
浅草で蕎麦を食べたのは30年も前の話。
秋田県から上京して来たお父さんに初めてご馳走した天ぷら蕎麦だったそうです。
 
「それまで痴呆で、以前の父らしさは無くなってしまったと思ってたから、亡くなる前に父が戻ってきたと思ったの」
「話たいことはたくさんあったのにありがとうしかいえなかった」
それでも娘さんの顔は微笑んでいらっしゃいました。
 
棺の中には浅草寺御朱印とラップに包んだ天ぷらとお蕎麦が入れられました。
 
普段、私達は沢山の言葉を使い沢山の人とコミュニケーションをとります。
 
最後の会話は
必死に伝えたい言葉と
必死に受け取りたい言葉が交差する瞬間なのかもしれない。
 
勿論亡くなってからも自分の思いを伝えることは大切だと日々感じます。
 
亡くなった方の、お体、お顔を見て伝えることができる時間は限られているからです。
 
 
今までご遺族の口から亡くなった方への言葉は数えきれない
ありがとう。
愛してる。
お疲れ様でした。
頑張ったね。
しばらく待っててね。
またね。
 
そこには沢山の想いが詰まっている。
 
 
そんなことを考えていると、普段業務連絡とクレームしかない旦那との会話を改善しなきゃと思いました。

 

大切な人と会話をしよう。

弱り目に祟り目

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秋の花粉症がずっと続いてる。
毎年のことだけど今年は症状が酷いなぁと思っていたところに発熱。
 
腰も痛いし、インフルエンザ?
病院に行ったところ風邪とのこと。
 
あまり熱が出ない体質だし、二日酔い、腰痛以外に体調が悪いこともあまりないのに、どうしたんだろう?と、このところの生活を振り返ってみる。
 
先月末に友人が亡くなったとの訃報が入いりました。
 
自殺ということもあり、葬儀は家族の手で既に行なわれていました。
 
最後あった時、彼女は私の仕事の愚痴に「こんなに好きな仕事に出会えてよかったね」と言ってました。
 
彼女は鼻をグズグズしていた私を心配して、無理矢理自分のマフラーを巻いてきて、満足そうに笑ってました。彼女が使っている香水の匂いがするマフラーは手元にあります。
 
私は今も彼女が亡くなったことが信じられない。
 
彼女が亡くなったことを考えないようすれば、苦しくならないですむけど、仕事をしてても、ご飯を食べていてもふと思い出すんだよね。
 
それでも誰かに聞いてもらう場ってあまりない。
 
最近スケジュールが合わなくて、行けてなかった遺族の会「分かち合いの会」に久しぶりに参加してきました。
他の人の話聞いたりや自分の話をすると、少し自分の中に落とし込む事ができた気がする。
 
だけどね、やっぱり仕事していると
「人のお手伝いしてても、本当に大切と思う人のために役に立てなかった」と考えてしまう。
 
あんなに、わたしの仕事を理解して応援してくれてたのにね。
 
グリーフについてもう7年ぐらい学んでいます。

だけど、自分がグリーフ(悲しみに重しをかけて閉じ込めている)状態なのはすごくわかるけど、まだわたしには外に出す準備が出来ていません。
 
閉じ込めているから身体にも負担がかかっているんだろうな。もう教科書通りに体調崩してます。
 
葬儀とか、お別れの儀式が、もしあったら違っていたかもしれない。
 
亡くなったことを受け入れて、悲しむ儀式が必要ってことを身をもって体感しています。
 
弱り目に祟り目。
気持ちが落ち込んでる時にさらに体調を崩す。
グリーフにあるあるの諺なのです。
 
 

納棺士の腰問題

やってしまいました。

 

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腰問題。
納棺士にとって、腰痛は職業病です。
この世での最後のお風呂、「湯灌の儀式」は、お湯を20ℓのタンク二個に入れて移動しますし、自分より重い故人を抱えてご移動することもあります。
 
着せ替えをする時も、お体が大きい方だとスッという感じではなく、よいしょーと起こすことになることも。
 
布団や棺に寝ている方へメイクや、処置を行う際も全て中腰です。
 
書いてるだけでも腰が痛んできそうですが、納棺士とはそういう、日々の腰をいじめているような仕事です。
納棺士に腰痛は付き物と言っても過言ではありません。
 
私達、納棺士の仕事は葬儀会社からの依頼で始まります。私達納棺士は葬儀会社の下請け会社であります。
 
葬儀会社から会社に送られてきた依頼書には「お体大きいです」と注意書きがありました。
覚悟はしていきました。

 

が、想像を3倍は超えていました。
 
 
86歳と聞いて、女性と聞いて、そこまで覚悟せず、安置室に向かうと、柩に入るのかと思う横幅です。
 

もしかするとご病気で浮腫んでしまうこともあるかもしれません。

しかし、今回の大きな原因は亡くなった後に起こる死後の変化が大きく関わっていました。


棺の大きさは6尺、6.25尺、6.5尺が一般的です。
一番大きな6.5尺だと、柩の種類によってちがいますが、外寸で長さ約195㎝巾は約60㎝ぐらいです。
 
6.5尺の棺にギリギリ。実際ご移動するとかなり窮屈そうです。
 
胸には手術跡があり闘病された痛々しい傷跡が見えます。
 
犯人はこの傷の様です。
 
傷があったり、敗血症などの死因によって起こる死後の変化に、巨人化という現象があります。
 
体の中に腐敗によるガスが発生し、体が大きくふくれてしまいます。
 
そうなると納棺士に出来ることは少なくなります。
ガスにより押し出された血液を拭き取り一刻も早く冷やしてこれ以上腐敗が進まなくなるようにしなければなりません。
 
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出血をとめ、着せ替えを2人がかりで行うと今度はメイクです。
鬱血したお顔に化粧をのせます。
 
遺影のお顔とはちがうのはわかっていても、少しでも生前に近づけたい。出来ることを探します。
こういう時、初期の段階でエンバーミングを選択出来ていれば、、、と思います。
 
エンバーミンは体の中の体液や血液を、調合した薬品入れ替えることで、ドライアイスを当てることなく衛生的な環境でお別れの時間を過ごしてもらえます。
もちろん、お体がガスで膨れてしまうこともありません。
 
葬祭業の大切な役割って、ご遺族に選択肢を作っていく事だと思います。
はじめての体験であるご葬儀をどうすれば、ゆっくりと安心してお別れしてもらえるのか。
プロとして提案できるのは葬儀会社の担当者であると思うのです!
 
と、つい、熱く語りましたが、納棺式ではギリギリ頑張っていた私の腰も終わる頃には本格的に痛くなり、ご遺族のまえからエビのように、中腰後ろ向きで退席いたしました。
 
明日あたり暖かい温泉にでも浸かりにいきますか。
 
納棺士の腰問題に改善策を見出せる日はまだ、先のようです。

ラジオ収録

ラジオ番組にお呼ばれしました!

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栃木放送。是枝つぐとのおみおくり百科

 

是枝社長は小金井の葬儀社の社長で、普段から大変お世話になっております。そして、グリーフサポートの仲間(先輩)でもあります。

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めちゃくちゃ緊張しましたが、お二人のパーソナリティが空気を作ってくれます。

 

是枝社長と並んでいるのは、

埼玉県民がみんな聞いてるNACK5。GOGOMONZでお馴染みの高橋 麻美さんです。

 

こう言ってはアレですが、ラジオなのに無駄に可愛い!!顔が見えないのが勿体ないです。

 

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顔ちっちゃい!私、顔も体も貫禄あり。

麻美さんがすごく奥に座っているように見えます笑

 

因みに横並びに座っているんだけどね。

 

 

終わったら楽しい打ち上げ。

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味のあるマスターと味のあるお店。

 

最近、必死にアウトプット頑張ってます。

 

あっ、放送は12月6日金曜日14:00~です!

 

普通の主婦のわたしがなぜ納棺士になったのか?

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告白をすると、自分のことを普通の主婦というのはだいぶ語弊があると思っています。
私は妻として、母親としては「ポンコツ」です。四角い部屋を丸く掃除し、冷蔵庫の中で人参がミイラになっていたりします。
裁縫も料理も得意ではなく、子供たちは早いうちから料理やボタン付けは自分で出来るようになっていました。それは私が教えたわけでなく必要に駆られてそうなっただけ。
 
 
 
納棺士になる前、私は保険の営業の仕事をしていました。数字を上げることで評価されることや、会社の経営者の方々と直接話ができる事にやり甲斐や、楽しさを感じていました。
 
しかし、ある出来事で私は役に立つ仕事ってなんだろう。と悩んだ時期がありました、
 
ある日、保険の契約をいただいていた会社の社長さんが自殺をします。
 
加入していただいた保険は、ご自身の保険ではなく、社員に何かあった時の保障で、ご自分のことより、会社のこと、従業員のことを大切に考えていらっしゃる社長さんでした。
 
私のこともよく気にかけてくれていて、毎月の訪問日にはおいしいコーヒーを、豆から挽いて社長自身が丁寧に淹れてくれます。
 
保険の加入から1年ほどが経過したころ、普段はあまり電話など掛かってこない社長から電話がありました。

呂律がまわらず、何を話してるか分からず結局電話は切れてしまいました。

次の日会社にお邪魔すると、いつもは開いている会社の入り口が閉まっています。
 
その後、連絡も取れず社長が亡くなったと聞いたのは、電話をいただいてから1週間後でした。
私にできることは保険の契約者の名前を新たな代表者へと変更する手続きだけでした。
 
そして、同じころ父が亡くなり、
「死」というものを考えることが多くなりました。
「私はどんな風に死ぬんだろう」「後悔しない死ってなんだろう」
 


結局答えは見つからないまま、納棺士の仕事の募集を知ります。ここで働いたら答えが見つかも、と38歳の時に納棺会社の扉をたたきました。
 
私が最初に所属した納棺会社は埼玉にある大手の葬儀会社の納棺を専属で行っている会社でした。
 
小さなアパートの1階が職場でそこから納棺士生活が始まりました。働いている人は、みんな明るく仕事以外はいつも笑っていたような気がします。
まず、納棺師になって驚いたことは毎日たくさんの人が亡くなっていることです。
毎日一人の納棺士が1件~4件の納棺が私にとっての日常になりました。
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初めのうちは
「このたびはご愁傷しゃまです」
「もすさま・・・も・喪主しゃまはいらっしゃいますか?」
と言いなれない言葉に悪戦苦闘し、鼻に綿を詰める処置もこわごわです。
 
納棺士になるには資格がなく先輩納棺士について技を盗むしかありません。
 
しかも、職人気質の方が多く「なぜその処置をするのか?」丁寧に教えてくれるわけでもありません。
そして、私が一番戸惑ったのは悲しんでる方になんと声をかけたらいいのか?何かしてあげたいけど何ができるのか?ということでした。
 
ご遺族とどんなふうにコミュニケーションをとったらいいか先輩納棺士に聞くと、空気を読むことが大切といわれました。
空気を読むとは?納棺士になってからはわからないことだらけで本を読み漁り、外部の講習会に参加しました。
 
納棺士の技術は学んでも、学んでもきりがありません。
私じゃない納棺士だったら、もっと最適な対応が出来たのでは?と眠れないほど悔しく、申し訳ない気持ちになったりもします。
 
失敗もたくさんありました。
亡くなったご主人が夢にも出てこないと聞いたとき、私は先輩が言っていたフレーズをそのまま言いました。
 
「思いが強いと夢に出てこないと聞いたことがあります」
そうすると、娘さんが
「私は夢に出てきたから思いが弱いってことか」
 
悲しそうにそういう娘さんにかける言葉は私の引き出しに入っていませんでした。
 
また、亡くなっても耳は聞こえていると聞いたことがあった私はそのまま遺族に伝えました。あるご遺族にとっては亡くなった方に自分の思いを伝えるきっかけになりました。
 


しかし、あるご遺族にとっては、声をかけることだけで納棺式が終わってしまいご遺族の選択肢を狭めてしまう結果になりました。
 

 

今思うと納棺士として働き始めたころは、ご遺族を励ます言葉、いい言葉をかけようと必死でした。
しかし本当の納棺士の役割はご遺族を励ますこと、元気にすることではないのです。
 
ご遺族を元気にすることが出来るのは、ご遺族自身だけです。
 
ご遺族がご自身で、故人とのつながりを感じるための手伝いをするのが、納棺士の仕事です。
 
皆さんの中にある故人のお顔に近ずける死化粧の技術、安心してお別れができる処置の技術、その人らしさを表す着せ替えの技術。
そして、ご遺族の希望を叶えるためのコミュニケーションのとり方。全てを学び続けていかなければなりません。
 
ゴールのの見えないこの仕事に時々、なんて仕事についてしまったのかしらと思うこともあります。
 
しかし、技術を学び続け、ご遺族へ係る覚悟ができたとき初めて、まるで映画のような素敵なお別れの場面に同席させて貰えるのです。
 
不器用な主婦は、不器用な納棺士なりに沢山悩み、迷走しながらも、たくさんの気づきに出会えてます。

ブログには向かない体質の私が伝えたいこと

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ブログをあげるって大変ですね。
 
だって、ブログって
「私はこう思うんですよ」って発表するようなものです。
周りからどう思われるか心配な人にとって、すごくハードル高いんです。
遺族との一場面を書くときは、嫌な思いする人がいるんじゃないか?
誤解をされるんじゃないか?と何度も消したり、書いたり・・・。
 
B型自由奔放!私がしたいようにするわ~!という仮面をかぶってますが、
間違ったことしたくない、バリバリの長女気質なんです。

 

これは、完全に向いてないですよね
 
 
それでも、葬儀業界に入ってから、私の中には伝えたいこと、これって変だよねってことが少しずつ積み重なっていきました。
 

これって変だよね
 ある納棺士が、ご自宅で行う納棺式に伺ったとき、ご遺族と話していると、
「お父さんは浴衣ではなくスーツを着せたかったけど、やっぱり無理だよね」
と言われたそうです。
もちろん着せ替えは出来るし、納棺士も着せ替えたいと言っているご家族に
「大丈夫ですよ、着せ替えましょう!」言いたいですが、、、。
遺族の後ろにいる葬儀担当者は余計なこと言うなよー!という目でこちらを見ています。
きっとご遺族の要望を聞いた、担当者の判断で着せ替えは無理ですよと伝えたのでしょう。
葬儀会社からの依頼でご家族のもとに伺っている以上、私たちは何も言えません。
 
そのご自宅に伺った納棺士はベテラン納棺士だったので、スーツにはさみを入れて着せ替えすることなく、まるで着ているようにスーツをお体に沿わせました。この苦肉の策でご遺族と葬儀担当者の両方が納得できたのです。

 

でもこれって変だよなと思うのです。
 
 

まだまだ、他にもあります。

亡くなった方の体をドライアイスで冷やすのは腐敗を防ぐために必要なことです。
だけど、亡くなった方が組んだ手の上にドライアイスを置くのはどうでしょう?

カチコチに固まった手をご遺族の目に晒すのさえ躊躇します。そしてご遺族は手に触れるてお別れすることが出来なくなってしまうのです。
 
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私が伝えたいこと

ご遺族の中には、お葬儀や納棺式という時間を自分らしいお別れする場にする立派な「おくりびと」がいます

 

その人達の共通点は、お別れの仕方を知っていることです。
 
好きなものに着せ替えができる
棺の中に思い出の品を入れることができる
故人の思い出を語る場がある
故人に伝えたいことがある
故人にしてあげたいことがある
 

そんなことを知っている事が大切だったりするのです。

 

例えば
ご主人が好きだったコーヒーを飲みながらお別れがしたいという奥さまがいらっしゃいました。

 

部屋の中はコーヒーメーカーからのコーヒーの香りでいっぱいになり、いつも聞いていたジャズがながれるなかでの納棺式でした。
 
こんな素敵なお別れができるなんて、たくさんの人に伝えたい。
 
というわけで、てんでブログ向きの性格、体質ではない私がブログを書いているわけです。
 
ははっ、結局のところブログを書かない言い訳をもっともらしく書いてみました。