なぜ亡くなった方をお風呂に入るのか
湯灌の儀式
私はこの仕事にまで就くまで、亡くなった方を浴槽で洗い流す「湯灌」という儀式があることも知りませんでした。
普段は人前でお風呂に入るなどしたことがない私は、私が亡くなる時はやらなくていいかなぁ。最初はこんな感じでした。
ところが、たくさんの方の湯灌の儀式を見ていると、私も残された家族が私を洗いたいと思ってくれるなら、喜んで「お願いします!」といいたいです。
湯かんの歴史
亡くなった方をお風呂に入れてあげたいというのは日本人らしい発想とおもいきや、根本的には宗教や風習から現代に引き継がれてきたものです。
日本には江戸時代の頃、お寺などに湯灌場という亡くなった方の検死を行う場所がありました。そこで体を洗い棺(当時は座棺という座った状態で納める樽のような棺)
にと納めていました。また、仏教宗派によっては、出家する際に身体を洗い清める儀式として湯灌をおこなっており、宗教的な意味合いも持ち合わせています。
以前はタライに入れたぬるま湯で、近親者や近所の人の手を借りて亡くなった方の体を洗ってあげていました。現在では浴槽の上に置かれたネットにお体を寝かせ、シャワーでお湯をかけて体や髪の毛を洗います。
実際にお湯を使い洗い流すので、お身体をふく清拭よりもしっかり洗うことができます。
例えば、髪の毛。亡くなった状態によっては吐瀉物や血液が髪につき、臭いもあります。そのような状態では最後のお別れを近くで過ごしてもらうことは難しくなります。
お湯で流しながらシャンプー、トリートメントをすることで汚れを流し、匂いを落とします。
また、お風呂や温泉が好きだった方もいらっしゃいます。お風呂で背中を流すイメージからでしょうか、ご遺族は自然にお身体や髪を一緒に洗っています。
湯かんで注意すること
以前、登山のルポライターをしている40代の男性の湯灌をしました。男性は朝いつものように、行ってきます!と山に向かい滑落事故により還らぬ人となりました。
奥様と子供達はご主人の死を理解するのさえ困難に感じているようで、少し離れた場所で固まり、こちらにむけられた目線も何処か虚ろな感じがしました。
自宅のウッドデッキにつながるリビングに広げた浴槽の上で、静かに目をつぶっているご主人にぬるま湯をかけゆっくり洗っていきます。
泥がついた足や肘の擦り傷もタオルの中で、しっかり洗います。
部屋の中は石鹸の香りが少しずつ溢れていくと、奥様から「わたしにも洗わせて下さい」と申し出がありました。
湯灌の儀式はもちろん家族の手で洗っていただけますが、納棺士がそれを強制することはありません。
あるコラムで、親戚が集まる「お葬儀」で行われる湯灌の儀式に対する批判的な記事がありました。
久しぶりに会う親戚の前で、裸になった故人(実際には肌が見えないように大きなタオルで包まれていますが)を洗うことを強制され、戸惑ったという内容でした。
私は、湯灌の儀式は必要と感じたご遺族が、ごく親しい人だけで行うものだと思います。
ただプランの中に組み込まれれているから、という理由で湯灌の儀式を説明なく行えば、見せ物にされたと怒る人もいるのは当たり前です。打ち合わせの際にしっかりと葬儀担当者からの説明が必然なのです。
つまり、湯かんで注意することはやる方がしっかりと理解して行うことだと思います。
滑落事故でご主人を亡くされた奥様は、ご主人はお風呂が大好きで、仕事で山から帰るとまずお風呂に入ってビールを飲むのが日課だったと話されてました。
中学1年生の娘さんには、いつも使っていたシャンプーを急遽お借りして髪の毛を洗ってもらいました。
「おかえりなさい」
どちらかが、そういうと奥様と娘さん、2人で肩をくっつけタオルで涙を拭いては故人を洗い、拭いては洗いを繰り返しました。
湯灌が終わると最後は登山スタイルに着せ替えました。
脱脂綿に含ませたビールをご主人の唇にのせて
「これで彼も満足だと思う」
自分に言い聞かせるように言った奥様の言葉が今も耳に残っています。
何かしてあげることで、ご遺族は、理解することが難しい大切な人とのお別れを少しずつ噛み砕き、自分の中に落とし込んでいるのかもしれません。
お湯を使うことで腐敗が進むのではと心配される方もいらっしゃいます。実際はお湯に浸かるのではなく表面を洗い流すので体が温まるわけではありません。腐敗が進むのは考えにくいですが、もちろん全ての方にできるものでありません。亡くなった方の体の状態によっては湯灌が難しい場合もあります。もし、湯灌という時間にご興味のある方は葬儀会社に聞いてみてください。
湯かんだからできること
お身体や髪を洗う湯灌だから作り出すことのできる時間があります。
美容師として働き始めた娘さんは亡くなったお母さんの髪を、涙をぽとぽと流しながら無言で洗っていました。
同じ年の子供がいる私は横に座っているだけで心が痛くなります。
なかなか、洗うことを止めることができない娘さんの腕に触れて、「何かお手伝い出来ることはないですか?」と聞くと、
「入院してからお見舞いに行けなかったんです」と、返事が返ってきました。
慌ててシャワーのお湯で娘さんの泡がついた手を流し、タオルで拭いてあげました。
「痩せていく母を見るのが嫌で、会いに行けませんでした」
私はまっすぐに見つめてくる視線に頷きながら、
「こんなに丁寧に髪を洗ってあげたら、お母さんすごく喜んでると思います」とずっと思っていた言葉をかけました。
「やっと母に美容師になったことを言えた」
一つに束ねた金髪に真っ赤な口紅が印象的な今時の女の子です。きっと心の中でいろんな思いがごちゃごちゃになっていたんだ。
そして誰にも言えず、こんなに苦しみ悩んでいたと思うと抱きしめてあげたい気持ちになります。きっと亡くなったお母さんも同じ気持ちなんじゃないかな。
納棺式が終わり退席しようとした時、お父さまから本当に、湯灌をやってよかったと言葉をかけていただきました。
「娘があんな風に思っていたなんて知らなかったんです」
この湯灌の儀式が、ご遺族にとって意味のある時間であったと確信できた瞬間でした。
なぜ亡くなった方をお風呂に入れのか。
ご遺族は、亡くなった大切な方を綺麗にしたい、何かしてあげたいを叶えた時に、自分の持つ悲しみに向き合おうとするのかもしれません。
たくさんのお別れの場面に立ち会わせ頂いた納棺士だから、私も最後はいい幕引きをしたい。
私は湯灌を含む納棺式や、葬儀とは、残された人の為にあると感じてます。
そして、人との別れや痛み、できたら上手なお別れの仕方を自分の死(生き方)で子供達に伝えれたらいいなと思い続けてます。
その為には、まずは家族の時間を大切に過ごさなくちゃ。毎日、遅くまで働いてる場合じゃないのかもしれない。