会いたい幽霊
心霊ブームとピンクレディ
私が小学校低学年の頃、心霊ブームで心霊写真とか、怪奇現象が、よくテレビで取り上げられていました。
ちょうど学校から帰る時間、テレビをつけるとやっていた心霊写真の特集が私は怖くて仕方がなかったんです。確か、3時のあなた?っていうワイドショーだったかなぁ。
うちは両親が共働きだったので私が学校から帰っても一人か、4歳違いの妹がいるだけです。心細い時間帯にその番組を偶然見てしまった日は、怖くて怖くて。
当時の私は怖い気持ちを振り払う為、大好きだったピンクレディーの曲を全力振り付きで踊るという対処法をあみ出しました。
まさかそんな、幽霊が死ぬほど怖かった私が、納棺士になって死んだ方のお化粧をしているのですから不思議なものです。
もし幽霊が、亡くなって会えなくなった「誰か」だとしたら、私は子供のころのような怖さを体験することは、もうないと思います。
そんな風に思うきっかけは、父の死でした。
父の死
父が癌になり、余命が半年と聞いた時、そんなはずはないと信じなかった私は、離れた父のお見舞いになかなか行けずにいました。
宣告通り父は半年後亡くなりましたが、その時のことを今でも覚えています。
もう、起きているのか、寝ているのかわからない様な、どこも見ていない父の横顔。母と私と妹も父の体に触れてはいるものの、話仕掛けることなくただ下を向いていました。父の体に付けた計器の定期的な音だけが、病室に響いていました。白いベッドに寝ている父はもう、私がいくら触れても何の反応がありません。
何となく、もう父はこの痛みのある体からは抜け出ているような気がしました。
父が静かに旅だってから葬儀が終わるまでの、記憶は曖昧です。
しかし、葬儀が終わってまた実家から離れる生活が始まると、不思議なことに前よりも父を近く感じることがあります。
小さな頃、髪を洗った後、よくタオルで父が髪を乾かしてくれました。タオルで髪をくしゃくしゃと拭いてもらうと気持ちがよくて、とても安心した気持ちになるのです。
髪の毛を洗い自分で髪をタオルでくしゃくしゃと乾かしていると、不意に父が目の前に立っているような気持になり涙が出そうになることがあります。
大切な人を失った心の状態が見せる錯覚かもしれませんが、それは怖いものではなく、自分の心がふと立ち止まるような、心の休まる瞬間でした。父が私の前に現れたら、何を話そう。
夜寝むる前、暗闇で幽霊に怯えていた小さな頃の私は、もういなくなりました。
3.11以降
3.11は私の地元、宮城県にも大きな爪痕を残しました。宮城県石巻の海は主人と、子供が小さなころ毎週のように遊びに行った場所です。
主人がウィンドサーフィンをしていたので仲間もたくさんいました。変わり過ぎたあの場所へ行くことはもう、ないような気がします。
友達も亡くなりました。当時は亡くなった方が多すぎて安否確認もままなりませんでした。
同じ会社で働いていた彼女とは同じ年でした。結婚し、子供が生まれたのも同じ年で、仕事を辞め、私が主人の転勤で地元を離れた後も、年に一度の年賀状での近況報告が、恒例のやり取りでした。
そして震災から2年後、彼女が震災で亡くなったことを年賀状で知りました。
娘さんを保育園に迎えに行った帰り道、彼女は車で津波にのみこまれたそうです。
あれから何年分もの彼女への近況報告がたまりました。彼女の死を2年も知らなかったことも謝りたい。
亡くなった人が行く世界があるとするなら、向こうの世界で娘さんと二人で過ごす彼女にも会って話したいことがたくさんあります。
納棺式で大切な方を失ったご遺族は、私と同じように、夢や幽霊としてでもいいから会いたい、会いに来てほしいと話します。
中には、亡くなった人が幽霊のような姿で会いに来てくれたと嬉しそうに話すこともあります。そんな時、他のご遺族が「私も会いたいなあ」と羨ましがります。怖がる人は1人もいません。
わたしは、亡くなった人が行く世界を信じているわけではないけれど、残された人にとってそれは生きるための理由になると感じることがあります。
日本最後の物語「古事記」には黄泉の国の話しが書かれており、亡くなった奥さんのイザナミをイザナギが探しにいくという神話があります。
もしかすると、昔から語り継がれている幽霊たちは身近な人や自分の死を受け入れるために必要だったな想像の産物なのかもしれません。
そして、たくさんの人が、幽霊をみている。これは間違いなく事実だと思うのです。
そして私自身も、
納棺士という、職業のせいか、はたまた歳をとったせいなのか、会いたい幽霊が増えていっていることに間違いはないのです。